<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890</id><updated>2012-02-26T16:16:59.688-06:00</updated><category term='箴言'/><category term='疑問'/><category term='挨拶'/><category term='ローマ書にて'/><category term='賛美'/><category term='コリント1'/><category term='エペソ'/><category term='悩み事'/><category term='過去と現在'/><category term='交じり'/><category term='興味'/><category term='学び'/><title type='text'>恵みの下で</title><subtitle type='html'>“．．．いま立っているこの恵みに信仰によって導き入られ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる”　ローマ書５:１－２</subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>43</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-9166095288315897746</id><published>2012-02-04T22:47:00.002-06:00</published><updated>2012-02-04T22:55:27.355-06:00</updated><title type='text'>人として、キリスト者として</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;前回同僚によく家庭問題を打ち分けられると書いたばかりだが、１年近く続いたイザコザ騒動後　先日とうとう旦那様と別居となられた。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;旦那様　これで４回目　同僚は　これで３回目。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;“だからかどうかわからないけど、結構お互いサッパリしてる”とは言いながらもここ１年近くグダグダと私に相談事をしてきたのが彼女なのだが。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;旦那様が家を出るとした日の前夜　急に彼女のことが気になってしかたなかった。　&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;その気持ちを彼女にテキストメッセージで送った後　何故か感情的になりながら祈っていた。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;こういう時、私は一体何をしてあげられるのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;車で１時間半離れたところに住んでいる彼女夫妻。　近くであればもっと前から家族交際が可能だったであろうに。しかし、遠いからといって何もしないでいいのか？　人が困っているときに助けになってやるのがキリストの意志ではないか？　それが一般にミニストリーというのではないか？　などと息込んで夫に同僚のことを話していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;同僚が住んでいる近辺に教会を持っている友達夫妻がいる。彼らに同僚夫妻のことを話して教会のメンバーであるわけでもないが、カウンセリングをしてくれるか聞いてみようかという案が頭に横切ったのだが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“彼らは助けてくれと言ってるの？　自分達に助けが必要だと自分達が納得するまでは、、自分は無力であると自分が認識するまでは助けの手というものは無意味なんじゃないかな”と夫がつぶやいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かにそうかもしれない。キリストの救いを信じ、イエスを主と認める過程と似ているような気もした。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;彼女がカトリック系だという話を以前耳にしたが、 こういう状況の時、クリスチャンであるのか、どの宗派なのか、どこの教会と関わっているのかなどという事は全く関係無いなと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神様を信じてるのか、とか夫婦揃って教会へ行ってみたらどう？なんて発言は全くするつもりはなかったが、同僚は先日、実は今年に入って日曜日は教会に行き続けているのだと仕事中に私に話してきた。神に頼ることがちょっぴり不安な人達用のグループを教会で始めようかとも思ってもいるとか。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;その場では'真の光を求めるものには神は必ず答えてくれるよ’としか返答できなかったが、&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;その後一人でまた考えに落ちていた－”近くに住んでいたら家に来て一緒に御言葉の勉強ができるのに”とか、”教会参加人数増加ばかりに焦点を置いているのではなく、羽の折れた鳥を引き受けて養育してくれる信頼の置ける知人が彼女の近辺にいれば、、”&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし私が一人で感情的になって彼女の為に色んな手配をしようとしないでも、彼女が本当に心から神を求めるならば、神は彼女を御自分の方向へ導くように御業を働かされるはずだ。私は今そう信じるままである。&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt; &lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;そして近々私に機会を与えられるならば　イエスの愛の証を分かち合う事ができればいいなと思っている&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-9166095288315897746?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/9166095288315897746/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=9166095288315897746&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/9166095288315897746'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/9166095288315897746'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2012/02/blog-post.html' title='人として、キリスト者として'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-5283627135452200</id><published>2012-01-20T16:17:00.156-06:00</published><updated>2012-01-20T22:46:56.474-06:00</updated><title type='text'>輝き加減、塩加減</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;アメフトで話題になっている選手がいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は自分が救われていることをマイクが向けられる度にイエスキリストの名を挙げて感謝するのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼が話題になっているのはそのせいではなく、ルッキーとして主役のクーオーターバックという守備を果たすチャンスが与えられた今年、負けて当然なゲーム状況から試合終了数分前という時点で彼のミラクルプレイにより逆転勝利に至った事が何度も続いたためだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして試合に勝つたび、フィールドで片膝まつき神に感謝の祈りをしているポーズは巷でも大うけしている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;神様は彼の味方をしているのか？　今日も神は彼のためにミラクルをするのか？っというのが毎回アナウンサー同士で話題となっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は子供をホームスクールしていた時期から彼の事を知っていた。彼のご両親はフィリピンへ宣教された方々で、彼もホームスクールの経験があるため、ホームスクール出身でも公立大学へ進み、普通の人と同じ様に社会で活躍していることがよくホームスクール協会でも取り上げられていたからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのせいか、彼が公衆でキリストの名を挙げる姿はそれが彼の純粋さだと私は受け取るが、わざとらしくて嫌だと思う人も確かに多い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話は飛ぶが、&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;私の夫が電車通勤中に見知らぬ方と仲良くなり、友達になった人がいる。　彼は毎日夫と同じ車両に乗っていた為、夫が毎朝黙って聖書を開いて読むのを見ていたらしい。　ある日隣同士に座るようになり、“君の横に座ると、なんかスピリチャルなことを考えるようになる”と言われたとか。私の夫は彼と隣に座りながらも聖書の話を彼に持ち出したことは一度もなかった。&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;私も職場のマネージャーから困ったことがあると“祈ってくれないか”と言われたりする。　私はひと言も自分がキリスト信者だとか、教会の話などもしたことはないのだが、どこかのソーシャルネットワークで私が時々心に響く御言葉を載せる為、クリスチャンなのだと察したのかもしれない。彼女はカトリック系なのだが、私によく家庭問題を打ち分けたり、信仰についての質問もしてくる。“貴方みたいに良い人に出会ったことはない”と言われたことがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;しかし、私自身　他の信者から落第クリスチャンだと思われているっと感じる自分もあるのだ。以前属した教会団や　クリスチャンとしての生活基準が高く厳しいアーミッシュ系の信者からすると私達夫婦、又は私達家族は　“この世になじんでいるクリスチャン”と思われているに違いない。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;現に　この選手の様に公衆でキリスト発言はしないが、他にもキリスト信者であると名乗る選手は何人もいるわけだが、以前は、クリスチャンと名乗りながらも日曜日に教会へ行かずにスポーツ試合に出席する選手をそんな人はクリスチャンではない！と批判してきたクリスチャン達が、今あまりにもこの選手が“この世”で話題になっている為、批判するどころか、自分達も“彼と同類なのだ”と必死で宣伝しようとしているー全く都合がいいもんだ。&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;あの選手のジャージー（ユニフォーム）はフットボール団の売り上げナンバーワンならしい。　ソーシャルネットワークで彼をフォローする数もここ３ヶ月で３倍位増えたとか。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;それら全てがキリストを信じることへ繋がっていると言っているわけではないが、彼曰く、彼の仕事はフットボール選手であることではなく、自分の特技であるフットボールを通して与えられているプラットフォームを使い　イエスの名を証することが目的であると。　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;ある人にとっては彼のそんな発言がとても宗教臭く感じられ、もっとキリスト教には関わりたくない！っと思う人もいれば、彼の堂々たる証に何か影響され、彼の信じる信仰が何であるかと惹かれていく人もいる訳だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある人にとっては私達夫婦はこの世になじんでいる落第クリスチャンと思われているが、別の人にとっては何か強いものを信じていながらも近寄りにくくはない、なんか興味深い人達だと感じる人もいるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;キリスト者として人それぞれの輝き加減、塩加減が　別の人々其々に異なる反映を及ぼすことが面白いなと思う。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だからスポットライトをあてられている信者の信仰と自分を比べる必要はないと思う。結局一番大事なのは個人と神との間なのだから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-5283627135452200?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/5283627135452200/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=5283627135452200&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5283627135452200'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5283627135452200'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2012/01/blog-post.html' title='輝き加減、塩加減'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8656934782456904140</id><published>2011-12-21T08:59:00.000-06:00</published><updated>2011-12-21T08:59:52.721-06:00</updated><title type='text'>CHRISTMASとX'MAS</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;クリスマスが間近な今の時期は、クリスマスを&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRISTMAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書くのではなく、わざと省略して&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;X’MAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書く人がいる。この件に関して毎年クリスチャンは論議するのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;クリスマスを&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRISTMAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書かないのは、無心者の様に&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRIST&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;に対して問題があるからだというのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;それに対しての反応は、単に面倒だから省略して&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;X’MAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書いてるだけで、信仰とは全く関係ないという人もいる。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;そうするとまた折り返し、クリスチャンならば面倒を通り越してわざわざ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRISTMAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書くはずだ。こんな小さな事でもキリストへの愛を示すべきだとの返答。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;個人の意見としては、どうせ書くなら&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRISTMAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と私は書く。省略する事に意味不明だが、ツイッターのように文字数制限がされている場合など&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;X’MAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書くのは理解できる。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;しかし　“クリスチャンならばこんな小さな事でもキリストの愛を示すべき”という発言は気に入らない。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRISTMAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と書くか&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;X’MAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と省略するかで人の信仰を定めようとしている様に思えるかだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;そう思っていた矢先に誰かが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“この様に批判的なことを書くよりも、自分にとって&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;CHRISTMAS&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;がどういう意味を持つものなのかを述べたほうが無心者を含み誰にも良い影響をあたえるのではないか”とコメントしていた。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;それに一押しするのが私だ。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8656934782456904140?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8656934782456904140/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8656934782456904140&amp;isPopup=true' title='5 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8656934782456904140'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8656934782456904140'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/12/christmasxmas.html' title='CHRISTMASとX&apos;MAS'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>5</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1020094263896082297</id><published>2011-12-03T21:56:00.000-06:00</published><updated>2011-12-03T21:56:38.035-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><title type='text'>聖書とは</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;/span&gt;“製品に説明書がついてくるように、人間にも説明書がついてきた。それが聖書である”というような発言をよく耳にする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は一昔前、聖書というものはクリスチャン用に残された神のおきてのように受け取っていたような気がする。御言葉を一節だけ取り出し、文脈説明無しの説教の下に長くいた為　聖書というものをその様に受け取るようになっていったのかもしれない。読むことに興味がなくなっていったのも当たり前。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この世のはじまりから終わりまで、そして人間の命の初めから終わりまでが綴られているのは確かである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神の言葉、意思、教えが示されているのも確かである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私にとって聖書とは何であろうか？　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;単にキリスト者としてどうやって生きていくかと知ることが出来る本だろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人間の説明書というのは、’人間のための説明書’という意味であれば、私はその‘&lt;strong&gt;ため&lt;/strong&gt;’にひっかかるものがある。私達の&lt;strong&gt;為&lt;/strong&gt;に残された言葉であれば、主人公が‘私達’となるような気がするからひっかかるのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私にとって聖書とは、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神のことが綴られる本だという見方をするようになってから私はもっと読んでみたいと思うようになった。私の信者としての本ではなく、神のことを知ることができる本とでも言おうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前は何度聖書を読んでも意味の理解を頭に保つことも出来ず（文脈の理解が無かったから当然）　ある聖句がどの書に書かれてあるのかというのもすぐ忘れてしまうという始末だったが、現在持つ姿勢で御言葉を頂く時、自然に満たされる聖霊からのささやきは二度と忘れないものだなと確信するようになった。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1020094263896082297?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1020094263896082297/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1020094263896082297&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1020094263896082297'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1020094263896082297'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/12/blog-post.html' title='聖書とは'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-7425715780550869621</id><published>2011-11-15T14:14:00.198-06:00</published><updated>2011-11-16T21:39:09.730-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><title type='text'>キリストを信じるということ＝キリストに生きる</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;最近友達に書いたメールがある。　読んで喜びを感じたという返事を頂いたので、誰かの励ましとなるかなと思い　ブログ用に編集して載せようと思った：&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;　&lt;br /&gt;*****&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;br /&gt;以前から述べているように、私も長く大きな教会へ通ったが、本当にキリスト者として神を愛し信頼しながら生きていくようになったのは一時教会を離れて一人で（といいながら家族だけで）聖書を読み、旦那に解読してもらいながら理解を深めるようになってからだった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンになるには、、クリスチャンだから、、クリスチャンとして、、良いクリスチャンになることをめざす、、とか、多くのクリスチャンはそういう事ばかりに集中しすぎな為、本当に真理を求めようとする人々のつまづきになることが多いと思う。私自身そうだったから言えること。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスキリストの死と復活には重要な意味が含まれており、それを知識的に理解するだけではなく、心から信じることがキリスト者として恵みの下で生きていくことに繋がるのではないかと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスが全世界の人々の罪への支払いを十字架の上でされた事を信じるということは、自分もイエスと同じ様に十字架で死んだという事に値する。しかし死んだままではなく、新しくなった者として（&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;Renew&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;された者）イエスと同じ様に死から復活するのだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&amp;nbsp; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;br /&gt;当然　イエスを信じる者が肉体的に死んで起き上がることを意味しているのではなくて、イエスを信じる者の魂の面で　生まれ持った&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;‘&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;古い自分&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;’&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;を死に渡し、土に埋め、そして新しく神の子として生き返り、その後は新しく頂いた身体についてくる聖霊に満たされて生きていくということ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;イエスが死んで葬られ　三日後に復活した事にはこういう意味が含まれている&lt;/span&gt;。&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;これを&lt;u&gt;しっかり把握&lt;/u&gt;すると色んな事から解放される。私もこれを理解するようになったほんの数年前解放されました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスを信じる者が新しく生まれ変わっても現実的にはこの世ではまだ&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;“&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;古い体&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;”&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;を着ている。イエスが再臨されるまではこの世にいる信者はまだこの古い体を着ながら罪を周りに生きていくわけだが、神の子として生きていく事とは、イエスを信じたならばクリスチャンとして生きていく、&lt;u&gt;ではなく&lt;/u&gt;、&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;“&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;u&gt;古い自分は死に土に埋めた&lt;/u&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;”&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;“&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;u&gt;新しい自分がキリストに生きている&lt;/u&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;”&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;という事に信仰を置いて生きていけばいいのではないか。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;ローマ書が大好きになった私だが、特にローマ書６章でパウロが残した言葉にいつも元気つけられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ローマ書６章１１節&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="font-family: inherit;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;'このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。イエスを信じた者は&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt;‘&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;罪に対して死んでおり、イエスに生きている&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt;’&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;　&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span style="font-family: inherit;"&gt;だからイエスを信じる（イエスに自分の罪を背負ってもらう・イエスに頼る）と決心した後になっても“私の罪は大きいから、、とか申し訳ない”、、とまた自分で重荷をせおうとすると　イエスがされたことが水の泡になってしまうのではないだろうか。神は私達がその恵みに感謝し、満喫し、過去から解放され改めた心を持ってその後生きていくことを望まれるはずだ。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt; &lt;br /&gt;&lt;span style="font-family: inherit;"&gt;‘クリスチャンとして’&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-family: inherit;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;などという事に惑わされることなく、神を愛し感謝しながら新しく頂いた聖霊に満たされながらこの世で生活していけばいいのではないかと。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: inherit; font-size: small;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: MS Mincho; font-size: small;"&gt;&lt;span style="font-family: inherit;"&gt;それ以外のことはあまり気にしなくていいように思う。&lt;/span&gt; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman; font-size: x-small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman; font-size: x-small;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;*****&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;&lt;/span&gt;&amp;nbsp;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman; font-size: x-small;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman; font-size: x-small;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;span style="font-size: x-small;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;友達へのメールは以後も続くのだがここで区切ることにする。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;最後の“それ以外のことはあまり気にしなくていいと思う&lt;/span&gt;”&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;という発言から　ある人は&lt;/span&gt;‘&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;こういう思考が救いを受けても全く心新されないクリスチャンに繋がるのだ&lt;/span&gt;’&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;と言う人もいるだろう。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;以前も述べたが、クリスチャンであるといいながら教会メンバー達がする行いに呆れ失望し&lt;span lang="JA"&gt;　&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;牧師&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;業&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;を辞めた知人がいる。 信者の霊的成長は教会が、又は牧師が責任を負うものだろうか？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="EN"&gt;ここで私は聖書を読まなくても、教会に行かなくても良いと主張しているのではないが&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;&lt;span lang="EN"&gt;信者に教会に忠実であることを要求する～&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;御言葉を学ぶには、神の子として成長していくには　教会という場で、そしてそれを教える役割を与えられている牧師の言う事に従って～&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;という姿勢を持つ教会側が存在すると同時に、&lt;/span&gt;&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="font-size: large;"&gt;　　　　　　　　⇔&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;神からお言葉や示しを頂くには教会に行かなくてはならない、とか、神と良い関係を持つには、霊的に成長していくには　教会という場や牧師からのメッセージを当てにしっぱなしな&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;信者も存在する&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;と思う。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/li&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/ul&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;自分が生まれ変わり新しい聖霊が住み着いていることを忘れてしまったのか、最初から理解無し&lt;span lang="JA"&gt;なのか&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;。。。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会という場が、個人一人ひとり神との関係を持つ者が集まる場であるならば、&lt;span lang="JA"&gt;熟した信者が未熟者に“クリスチャンならこーするあーする”と&lt;u&gt;単に告げるのではなく&lt;/u&gt;、御言葉を土台にしながら教え合い（徳を高める）、其々異なる霊的過程にあることを理解しながら個人個人聖霊の導きに従うことを教え合わないだろうか。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;あまりにも理想的なことを私は望みすぎなのだろうか。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-7425715780550869621?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/7425715780550869621/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=7425715780550869621&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7425715780550869621'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7425715780550869621'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/11/blog-post.html' title='キリストを信じるということ＝キリストに生きる'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-3853749791641889442</id><published>2011-10-29T00:13:00.001-05:00</published><updated>2011-10-29T00:24:36.930-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='エペソ'/><title type='text'>神が保証するビルデングプログラム</title><content type='html'>まだ会社内のリモデリングが終わっていないのだが、先日紹介したアランさんのブログの記事を読みながら思いついたことがあったのでちょっと書き留めてみようと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;"We are in the building program."とアメリカの教会でよく耳にする。その意味は教会という施設をリフォームするとか、拡大するとか、別の土地で新建築するとか、売りに出ている別の教会を取得してそこへ引越しする為とか、色んなパターンがあるんだが、結局は教会という&lt;u&gt;施設の更新の為&lt;/u&gt;、&lt;u&gt;ある一定の金額を目標とし、その資金を集める教会内でのプログラム&lt;/u&gt;を意味している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アランさんの記事“神が保証するビルデングプログラム”で挙げられた御言葉はエペソ４章：１５－１６節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;”愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである&lt;/b&gt;”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼が強調するポイントは、&lt;u&gt;キリストを教会の頭にする；信者同士互いに仕え合うことを期待し働きかける；単に一人の人や限られた数人に全てを任せたりしない；一人ひとり信者の間で適切に勤めるよう手助けする&lt;/u&gt;。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうすれば教会（信者の集まり）というものは自然に成り立っていくということが上記の聖句から読み取れると。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私がイエスキリストを信じる決心をした時に属した教会は小さいだけでなく、これが私の教会ですと知人を招くのも恥ずかしくなる見た目からも哀れな建物でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時夫と一緒になって礼拝サービスに計画がないとか、もっと綺麗な建物の場所を探して移るべきだとか文句を言っていたものです。牧師にもそのアイデアを何度も話しました。時にはウンザリして別の教会へ移ろうかと何度も夫と話したことか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして数年後に引越しとなり、８０００人位のメンバーを持つメガチャーチへ移ったわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最初の教会でピアノを弾いていたため、メガチャーチに移った時　音楽担当の方が私がどれだけピアノを弾けるのか見てみたいということで個人的にオフィスに呼ばれました。メガチャーチのでかさに圧倒されているという感想を夫が話した時の彼女の返答を今でも覚えているとは、私にとって何かひっかかったものがあったのでしょうか：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;”We are just ONE　BIG　FAMILY"　私たちは単に大きな家族なだけよ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;メガチャーチに引っ越してきたばかりだったからか　勿論自分が”家族の一員”と感じるどころではなかった。いつかそう感じるのかなという希望をそこで持ったわけだが、今から振り返ると　１０年もそこに属しながら私達夫婦はやっぱりよそ者としか感じずにはいられなかった。だからメガチャーチに存在する色に必死で染まろうと、いう事・する事全てに付いていく事に必死だったんだろう。まるでそうすることでメガチャーチの家族の一員になれるかのように。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私にとって同キリスト者と家族の一員として一緒によく交じったと言えるのは　見かけも情けなかったあの最初の教会での集まりのみです。よく考えると、メンバー内に何らかのニーズがあれば牧師がその件を皆にうちあけ、互いに助け合いました；副牧師などいなかったが、牧師は時にはメンバー数人に説教をする機会を与え、それを拒む事などもしませんでした；教会の掃除も皆で集まりました；そしてよく皆で食事を分かち合ったことか！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これらのことはメガチャーチに移って殆ど経験しなくなっていきました。礼拝で隣に座る以外、一緒に教会のミニストリーに奉仕する以外には交じりなど無く、家族の一員だと思えなかったのも当然でしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;メガチャーチでそういう体験を期待するのは元から間違っているのかもしれない。それらは'別の’ビルデングプログラムにあるわけで、パウロが努めるようにと勧めた事とは異なると思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-3853749791641889442?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/3853749791641889442/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=3853749791641889442&amp;isPopup=true' title='7 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/3853749791641889442'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/3853749791641889442'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html' title='神が保証するビルデングプログラム'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>7</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-9183498353431543685</id><published>2011-10-06T21:26:00.000-05:00</published><updated>2011-10-06T21:26:40.443-05:00</updated><title type='text'>お知らせ</title><content type='html'>先月より会社に新社員入社となり私に上司が一人増え、ますます仕事が忙しくなっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それに加えて社内が改装中でもあり　なかなか落ち着かない毎日です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このブログを始めた理由の一つには私自身ネット上でも交じりたいという気持ちがあるんですが、なかなかそれも実行できてないこの頃。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;せめて社内の改装が終了するまで、このブログはお休みしてみます。その間、ブログ仲間のブログの方で再び交じらせていただきます。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-9183498353431543685?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/9183498353431543685/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=9183498353431543685&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/9183498353431543685'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/9183498353431543685'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/10/blog-post.html' title='お知らせ'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8349223622459989435</id><published>2011-09-28T09:04:00.001-05:00</published><updated>2011-10-06T21:37:45.040-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><title type='text'>フォーカスしなくなった事</title><content type='html'>子供の冬着を押入れから出しながらまた新しくよそ行きの服を買ってやらないと、と思いながら気づいた事：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はすっかり教会に着て行く服などにこだわらなくなったなあ、、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一昔は　日曜日は礼拝と教会での奉仕が生活の中心で、毎週教会に着ていく服によくこだわっていた。買い物に出かける度　教会に着て行く服を探し買いまくったものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それがエスカレートしたなと思うのは、押入れの中に並ぶ何着ものスーツを見る時。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今から考えると、週に一度、長くて３時間　殆ど座ったままの状態の礼拝の為に、普段着としては着れないスーツなどにお金を費やしていた自分に呆れてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうしてあのようにこだわったのだろうか。格好をつけたかったというよりも、一般人に自分がクリスチャンであると主張したかったというよりも、一番気にしていたのははっきり言って同クリスチャンの目だったような気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分が他のクリスチャンと並べる者であるということを外見で主張しようとしていたのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今は、風船がはじけたかの様に全く気にしなくなっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私にとって教会へ行くというのは、自分の信仰を外見で見せ付けるためでもなく、新しく買ってもらった洋服を社交的に見せびらかすためでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;週一度か二度　同信者と集まるのは互いの賜物を分かち合う目的が一番であり、何を身に着けているかなどということは私にとってのフォーカスではなくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会にいく目的をしっかり持っているならば、常識以外に服装がどうであるかなど中心にはならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;普段着で集まりに参加できたら良いのにと思うのが本音のところだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神に一番良いものを捧げるべき、っと言って会社には背広を着ていくが日曜の礼拝には普段着とはどういうことか！などとよく教壇から耳にするが、神が一番求めるものは何であろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一生懸命外見をクリスチャンらしく磨いても、神はそれを素通りして人の心を見つめられるではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンらしい格好などというのは存在しないし、キリスト者であるということは格好で着飾るものではなく、自然にどこかに表れるものだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こういう思考を持つようになるまで１０年近くかかった。よく遠回りをしたものだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8349223622459989435?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8349223622459989435/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8349223622459989435&amp;isPopup=true' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8349223622459989435'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8349223622459989435'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/09/blog-post_28.html' title='フォーカスしなくなった事'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1705060848814703107</id><published>2011-09-12T22:39:00.001-05:00</published><updated>2011-09-12T22:58:00.699-05:00</updated><title type='text'>９１１十周年にて</title><content type='html'>昨日は９１１　１０周年記念日だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１０周年ということで、数日前から&lt;span lang="EN"&gt;Facebook&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;でも関連するコメントや&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;YouTube&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;のクリップなどが出回っていた。十周年記念式の出席者に関する色んな議論もあった。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;日曜の礼拝でも９１１に関連することが持ち上げられるだろうからあんまり今日は教会に行きたくないなあ～とその朝夫はつぶやいた。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;案の定、礼拝が始まる前に“私達は忘れない”という題名で９１１当時の現場写真のスライドが映された。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;ツインタワーに追突する飛行機の写真を見るのはやっぱり辛かった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;１０前当時、実は私家族は６年ぐらいテレビを全く観ないという生活をしていた。　私が住む町は、アメリカ大都市の一つに入る近辺であることから、そこにも飛行機追突が起こるかもしれないという予測から夫の仕事は急遽閉鎖され、殆どの企業は皆従業員を帰宅させた。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;テレビを観ず、ラジオもつけていなかったその日、私がこのニュースを耳にしたのはなんと、日本にいる母親が心配して電話をしてきたからだったという。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;急遽帰宅してきた夫は即　６年もつけていなかったテレビに電源をつけた。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;アンテナ無しで観れるどのチャンネルでも同じ映像ばかり。当時まだ幼かった子供もあの映像を観たのを今でも覚えていると言う。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;＊＊&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;９１１のスライドの締めくくりは予想道理　歴代誌下７章１４節が使われた。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;１０年前当時も‘アメリカに罰があたった’などという言葉が出回っていたのも覚えている。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;それが本当であるか、この出来事の本当の意味は神しか知らない。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;しかし国が災難に合う度歴代誌の聖句を使うのがおかしく思えて仕方がないのが私の本音である。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;まずは、あの聖句はイスラエルの国を意味するものであり、アメリカという国に語られた言葉ではないからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何度も言うが、、、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この聖句を１節だけ取すと　‘クリスチャンがもっと祈り神の意思を捜し求めれば　神はそれらのクリスチャンが住むその国に恵みを与える’というような意味として受け留められるのが通常である。クリスチャンをもっと奉仕に励ませるために使う聖句である。そうやって罪悪感を感じる人の殆どは、この言葉がどういう状況で誰に語られたものかも知らないのが多い。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;神にはちゃんとした御計画がある。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;その一番の中心はイスラエルへ誓った約束ではないか。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;イエスの救いを信じる者達にはイスラエルへの地の約束とは別の約束が決められている。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;アメリカで起こる出来事、アメリカの教会で行われる事々が神が中心とするものだというような態度にあるアメリカ人を見るとまだまだ異国人が救われる時代であるのかなと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まるで将棋やチェスゲームのように、神は御計画を果たすために将棋の駒、チェスゲームのひとピースをゆっくりと動かしておられるのではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もう一度言う。　何故９１１テロが起きたのか、３１１東日本大災害が起きたのか、何故国々に災害が起こるのかはわからない。　わかっていることは、神にとってなんらかの意味があるということだけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この日９１１十周年で只確信を持った事は、御家族を亡くされた方、色んな面で被害に合われた方に悲しみの中にありながらも神の平安があるようにという我が家一家よりの祈りをささげることだった。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1705060848814703107?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1705060848814703107/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1705060848814703107&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1705060848814703107'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1705060848814703107'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/09/blog-post.html' title='９１１十周年にて'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1550794417026840971</id><published>2011-08-31T20:56:00.001-05:00</published><updated>2011-09-01T11:55:57.762-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>ブログの紹介</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;ホームチャーチ関連を&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;Twitter&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;で捜索していた時出会ったブログがある。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;この方が書く内容は私が同じ様に疑問に思う課題をよく取り上げられている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昔の私ならば、教派が違う、私と同じ版の聖書を使っていないから、、っという理由で目を向けなかっただろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;組織化された現代のアメリカにある多くの教会に対しての疑問から　御言葉を頼って答えを探し求め始められた　―　色んな版の聖書も読まれ勉強され、私が使うキングジェームス版とは違う聖書を主に使われるようだが、結局は似たような結論に達することが面白いなと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会という場、信者が集まる場とは、信者同士が励ましあう場、徳を高め合う場であるべきだという結論に達し、その様な教会の集まりも行っておられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのブログを読んでいると何故か満足気分になり（英語で書かれているのだが）私が同じ様な事を主張する必要は無いという気分になり、我がブログを音沙汰にしがちだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;英語が少しでも理解できる方（そんなに難しいとは思わない）にご紹介する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.alanknox.net/"&gt;Assembling of the Church&lt;/a&gt; （アセンブリングオブザチャーチ・教会の集まり）by アランノックス&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1550794417026840971?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1550794417026840971/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1550794417026840971&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1550794417026840971'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1550794417026840971'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/08/blog-post_31.html' title='ブログの紹介'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8254877065581983070</id><published>2011-08-18T22:08:00.012-05:00</published><updated>2011-08-18T22:13:27.451-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>満足した集まり</title><content type='html'>&lt;span lang="JA"&gt;夏休みも終わりに近づいているせいか、日曜学校（サンデースクール）出席人数コンテストも終了し、普通の礼拝式に戻りつつあるうちの教会。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;先日またゲストスピーカーがやって来た。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;この方は盲目でありながらピアノを演奏して賛美歌を歌ってくれた。声もピアノ演奏もサザンゴスペルミュージシャンかといって良いほど抜群なのだが、人からチヤホヤされて自惚れ　格好をつけている様な様子もなく、単に御自分にある全力を使い自分らしく歌っているのが印象的だった。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt; &lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;賛美歌の後メッセージをされた。メッセージのポイントは“壁を越える－イエスにあり問題、試練、苦難に打ち勝つ”というものだった。以外に冗談をよく飛ばされ、笑わさせていただいた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝後、家に戻っている途中に夫がその礼拝の感想を聞いてきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“今日の礼拝で何を学んだかね？”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;考えていると、失礼な言い方かもしれないが、別に‘これは知らなかった’とか‘とか’何か新しいことを学んだ’というわけでもなかったが、&lt;u&gt;励まされた&lt;/u&gt;という言葉が思いついた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼のメッセージには彼自身が盲目であることの話など出てこなかったんだが、彼自体が励ましの証になっていたと思う。もっと言えば、メッセージなしで賛美歌だけだったとしても充分に彼の持つ賜物から励みを頂いたであろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私がそう返答すると、夫も同意だと頷いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼がメッセージを始める前に祈られた言葉も私は見逃さなかった：&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;May the saints be edified today.&amp;nbsp; 今日聖徒のためになりますように/今日聖徒の徳が高められるように。&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;  &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;こう祈る説教人に出会ったのははじめてかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;とても満足感を感じた‘集まり’だった。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8254877065581983070?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8254877065581983070/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8254877065581983070&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8254877065581983070'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8254877065581983070'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/08/blog-post_18.html' title='満足した集まり'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-5846248989403925233</id><published>2011-08-04T14:36:00.066-05:00</published><updated>2011-08-19T23:21:10.620-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='悩み事'/><title type='text'>教会に行きたいけど行きたくない～その③</title><content type='html'>ある日曜日の礼拝後、あれだけ教会からさっさと出たいと思ったことはない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ゲストスピーカーとしてやって来た宣教師の方のメッセージだったんだが、説教で　今の時代に生きる殆どの人々がどれだけ恵まれた生活をしているかという事を他に豊富でない国の生活観と比較しながら主張された。普通に生きていることに対して人々に&lt;u&gt;悪い気持ち/すまないと思う気持ち/罪悪感を与える様なメッセージには私は拒絶反応を示してしまう&lt;/u&gt;。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最初にカチンときたのは、その方は空軍でリングイストという職を持ち長いこと韓国に住んでいた経験から以下の様な事を言った時だった：“韓国や多くのアジア国では床で寝るんですよ。私達の様にベットなどでは寝ないのです。ベットで寝れる私達はそれに比べたら恵まれているではないか！”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（こういう発言を誰かがすると、必ずといっていいほど小さな子供達や自分の住む町から一歩も外に出た経験の無い大人達はアジア人である私に目を向けるのだ）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本を始め、他のアジア国でもベットという物は存在するし、床に寝るといってもちゃんと心地よい布団という物を敷くのです。貧乏だからベットで寝れないのではなく、それが習慣の一つだからです、と言いたかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本が時代遅れの国のような印象を与える発言を耳にすると私の&lt;span style="color: #660000;"&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="color: #cc0000;"&gt;日本人の血が騒ぐのだ&lt;/span&gt;。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;日本が造りだす車、コンピューター、電気製品どれでも見てみろ！！っと叫びたかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;次にひっかかったのは、“私達は感謝祭に七面鳥が食べられる（アメリカの習慣の一つ）。旧約時代はそんな物食べられなかった。どれだけ私達は豊かであるか！私達はソロモン王よりも恵まれ豊富である。ソロモン王は冷蔵庫なんて持っていなかった。風呂に入りたい時、ジャ口をひねれば熱いお湯が出てくる今の時代に生きる我々はソロモン王よりもリッチな生活をしている”っと言ったのを聞いた時。‘大反対’の旗が私の心の中でヒラヒラと揺れていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はソロモン王よりも豊富な生活をしているとは思わない。冷蔵庫があるから、車や飛行機、新幹線という物で行きたいところに何処へでも行けるから、シャワーがあるから私はソロモン王よりも贅沢でリッチな生活をしているなどと思わない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘便利である’っということをこの方は‘豊富’や‘恵み’と解釈しているのかなっと考えていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そうやって今の時代に生きる私達がどれだけリッチな（便利な）生活をしているかという話をした後、彼はそうやってリッチな生活をしている今のクリスチャンの多くは‘神に属する者’ではないという話をし始めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼自身が空軍を辞めたのは、政府に勤めると、自分は政府に所有されているということになり、神の子になったならば二人のぬし（神と政府）に所有されることは不可能で、政府に所有されるべきではなく、神だけに所有されるべきだと証された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神の子ならば神に仕える事に専念するべきだということから、その方は地図で見つけることもできないような小さな島へ宣教師として行き渡ることにしたらしい（＝神に属している者の証拠）。だから皆も自分のような宣教師に寄付することで‘神に属する者’でいなさいというわけだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ここでまたひねくれ者の私は、‘貴方がそうやってその島へ宣教しに行くことが可能になるのは政府や市に毎日真面目に勤める人が寄付する援助のお陰でもあるのではないのか？　全てのクリスチャンが皆貴方のように仕事を辞めて何処かへ宣教しに行くならば、だれがその資金を出すんでしょうか？’っと言いたくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;宣教に寄付することに反対ではないし納得のいくものであれば喜んでする。寄付についてだが、宣教に寄付をすることだけではなく、小さい頃からユニセフ募金とかアフリカの子供達への募金の宣伝をテレビなどで見た時いつも思っていた事がある：&lt;u&gt;困っている人はそんな遠くの国で探さなくても周りにも沢山いるではないか&lt;/u&gt;、ということ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;仕事を失われた教会メンバーのご家族に毎月食費をいくらか渡したり、入院されている方のご家族に食事を作って持って行ったり、家計が厳しい方のニーズに援助することは　イエスの救いの話など聞いたことがない国の国民への宣教用に寄付することよりも劣ることだろうか。そうは思わない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この日曜後数週間教会に行く気分にはなれなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夏休み中は若者達がトラブルにかかり易い時期なので、宣教、神大学、教会増大をもっと押し込むリバイバルみたいなものが多いのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それが目的であるとしても、、&lt;br /&gt;その様なリバイバルの影響で自分が神に属する者なんだと短期的にエキサイトしても、誰かのブログで読んだように“根っこがしっかりしていない”のであればその興奮はいつか冷めてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パウロがコロサイ人へ書いた手紙の一部を思い出した：&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;”．．．あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである&lt;/strong&gt;”コロサイ書１章９－１０節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神の武具で身を固める、“御霊の剣である神の言”を取ることができるようになるには（エペソ書）　まずは個人で御言葉を読み知ることが必要ではないだろうか。そしてそれを&lt;u&gt;キリスト者同士で互いに教え合い徳を高め合うこと&lt;/u&gt;、、それが集まりの目的の一つであり、その重要さを再び考えさせられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちなみに、この方が説教に使った聖句はたったの一節のみ　－　第二テモテ4章５節&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;”しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい&lt;/strong&gt;”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この御言葉を一節&lt;u&gt;のみ&lt;/u&gt;取り出し、前後の御言葉との繋がりの説明も無しの状態で　あの様な口調で普通に生活している事に罪悪感を与えるような説教をするから多くの人は教会という場に足を踏み入れたいとは思わない傾向に至ってしまうのではないか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-5846248989403925233?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/5846248989403925233/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=5846248989403925233&amp;isPopup=true' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5846248989403925233'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5846248989403925233'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/08/blog-post.html' title='教会に行きたいけど行きたくない～その③'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-6361483350652641623</id><published>2011-07-20T15:54:00.006-05:00</published><updated>2011-07-21T14:22:37.093-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><title type='text'>牧師は職業の一つだと思わない</title><content type='html'>と女である私が偉そうに述べる以下の事は私個人が信じ持つ意見である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘職業’＝仕事。仕事ならば費やした時間分に対しての報酬が期待される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般にある教会という場では、‘神に返すものだ’と教会側から要求される十分の一税や献金・寄付金によって牧師は養われていると言っていいだろう。神から任命された者として‘神の仕事’にフルタイムで就くには、一般人のように毎日働きに出てはいられない為　教会メンバーがその分を養うことになると言う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘神の仕事’とは、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;教会へ出勤し聖書を読み、学び、解読し理解を深め&lt;/li&gt;&lt;li&gt;教会メンバーや人々の為に祈り&lt;/li&gt;&lt;li&gt;人々の悩み相談相手となりカウンセリング&lt;/li&gt;&lt;li&gt;伝道したり&lt;/li&gt;&lt;li&gt;病人の見舞いに周ったり&lt;/li&gt;&lt;li&gt;日曜日に皆に披露する説教の準備をする、等が挙げられる。&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;br /&gt;これらを集中して行うためには毎日一般人のように仕事に出ていられないというわけだ。皮肉な言い方をすれば、これほどクリスチャン・信者にとって理想な職業なんてないのではないか！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;新約書を読むと　パウロが自分を養っていたことがあちらこちらへの手紙に書き残されている。十分の一税のおきてを守り続ける強調なども存在しない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;“あなたがた自身が知っているとおり、わたしのこの両手は、&lt;u&gt;自分の生活のためにも&lt;/u&gt;、また一緒にいた人たちのためにも、働いてきたのだ&lt;/b&gt;”　使徒２０章３４節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;“兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、&lt;u&gt;あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら&lt;/u&gt;、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。 あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、&lt;u&gt;責められるところがないように&lt;/u&gt;、生活をしたのである”&lt;/strong&gt;　第一テサロニケ２章９－１０節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;&lt;u&gt;”人からパンをもらって食べることもしなかった&lt;/u&gt;。それどころか、&lt;u&gt;あなたがたのだれにも負担をかけまいと&lt;/u&gt;、日夜、労苦し努力して働き続けた。 それは、わたしたちにその権利がないからではなく、&lt;u&gt;ただわたしたちにあなたがたが見習うように、身をもって模範を示したのである&lt;/u&gt;。 また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。 こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める”　&lt;/strong&gt;第二テセロニケ３章８節ー１２節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パウロも寄付を受け取っていたのは確実だ。しかしそれらの寄付は彼やその他の使途の生活を養う目的であっただろうか？彼は誰にも養われることなく、それどころか、&lt;u&gt;誰かに養われていると責められないように生活していた&lt;/u&gt;ことを何度も証として残しているではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;牧師や教会専任師達が教会メンバーによって養われるという思考は、旧約時にレビ族が神の宮を世話することに専念する役割を与えられたことからこじつけられているのかもしれない。残りの１１部族による十分の一税は、土地を持ち　そこから収穫を得ることが許されず、ただ宮を守る役割のみを任命されたレビ族に与えられていた。（民数記１８章２１－２４節）牧師や専任師はレビ族に値する者でもないし、教会という場＝主が住む宮でもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が長く属した教派の教会で　メンバーによって養われている牧師の平均継続率は２，３年といわれている。どの職業でもいえるように、雇われていると気に入らないことがあれば雇用者から首にさせられるわけだ。よって職を無くし教会を転々とする牧師と名乗る者達は沢山いる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;メンバーもメンバーで、見知らぬ人を他所から連れて来て面接し、自分達の“霊的リーダー”とするというのもよく考えてみればおかしいものだ。後にメンバーから‘私達は貴方のことを誤解していました’と言われたり、教会運営に失敗したり、牧師が教会メンバーの誰かの奥さんとかけ逃げしたり、他に悪事を行って追い出されるのも当たり前かもしれない。私夫婦も牧師立候補者として面接に行ったことがあるので言わせて貰う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私夫婦は牧師業に就くつもりでいた時期があった。しかし牧師というものは職業の一つではないと確信するようになった今、人が汗水流して稼いだお金で自分達の新居の家賃を払ったり、車を買ったり、旅行にでかけたりというぬくぬくした生活をするような者にならなくてよかったと思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;牧師が職業の一つではないという考えを持つのは資金的な意味で言っているのではなく、私が書いてきた他の記事を読めば　私が持つ集会の構成と現代の教会構成が異なることから意味していることをわかっていただけるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘神の仕事として挙げられること、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;御言葉を読み学び聖霊に満たされ、人々の為に祈り、人々に助けの手を差し伸べ、聖霊に導かれながらイエスを語り証し、御言葉を分かち合うことはクリスチャンとしての仕事ではなく、キリスト者ならば普通に行うこと、又は行うよう心がけることではないかと言ったら言い過ぎだろうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-6361483350652641623?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/6361483350652641623/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=6361483350652641623&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6361483350652641623'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6361483350652641623'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/07/blog-post_20.html' title='牧師は職業の一つだと思わない'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-6216169852304610072</id><published>2011-07-08T23:06:00.003-05:00</published><updated>2011-07-08T23:13:33.270-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='興味'/><title type='text'>ハウスチャーチ</title><content type='html'>アメリカではここ２，３年　ハウスチャーチという動きがあるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昨年&lt;a href="http://www.timesdaily.com/apps/pbcs.dll/article?AID=%2F20100731%2FARTICLES%2F307319999%2F1124%2Fliving04"&gt;タイムスデイリーという新聞にも記事&lt;/a&gt;となった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まるでビジネスのように運営されている組織化された現代の‘教会’から離れて　ハウスチャーチをするようになった理由としてこの記事で挙げられたものは：&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;’説教’をさけ、&lt;/li&gt;&lt;li&gt;お金のかかる施設から逃れ、&lt;/li&gt;&lt;li&gt;顔を持たない・何の特徴も無い大勢の群集から去り、&lt;/li&gt;&lt;li&gt;小さな集まりで信者（キリスト連中）が互いに交じれるようになるため。&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;br /&gt;集まる人数は１０－１５人ぐらいで、互いに近況を話し合いながら集会の成り行きを毎週その場で聖霊に任せる。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般にいう牧師のような独占リーダーは存在せず、参加者ならば誰でも教え、歌い、祈ることが期待されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;交じりはその後　皆が持ち合った食事を分かち合いながら続く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;献金はニーズ・必要性が生じる時集められ、困っている人に直接寄付する人もいれば、食事を提供する人も、個人次第。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;参加者が１５人以上になるとそこから人数を分け、新しい集会を増やす。増やしても上手く集会が成り立っていくものもあれば、枯れ木のようにしおれてしまうものもあるのも確か。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;リーダーシップは共用され、階層制度なども存在しないが、自然に集まりのまとめ役は生まれる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ハウスチャーチに参加する大多数は（日曜だけクリスチャンしている人ではなく）２４時間クリスチャン（キリスト者連中）として生活したい人が多い　とハウスチャーチ活動先導者らしき人が記事でコメントしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ハウスチャーチの特徴は、看板などないので見つけにくい。探すなら口コミかネットによってのみ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私夫婦も同じ様に共感するものがあるので注目している。ネットで近辺にその様な集会があるか探してみたが近所には見当たらない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;といいながら自分達で始めてもいいなとも思っている。でも始める前に一家族ぐらい仲間がいればなあ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ハウスチャーチとはいえども場によってシンプルチャーチやオーガニックチャーチとも呼ばれているようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;組織化された教会の目的不明、そしてそこには見当たらない信者同士の交じりが人々の中で求められていることが面白いなと思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;同じ様に共感している人がいるんだと知ったのは嬉しいけど、ハウスチャーチムーブメントとして新しい教派みたいにはなって欲しくないものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;黙ってひっそり、注目されることがない信者同士の集まり。そのままでどんどん集会が生まれていけばいいな。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-6216169852304610072?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/6216169852304610072/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=6216169852304610072&amp;isPopup=true' title='12 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6216169852304610072'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6216169852304610072'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/07/blog-post.html' title='ハウスチャーチ'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>12</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1167779466485582174</id><published>2011-06-26T00:06:00.204-05:00</published><updated>2011-06-28T00:26:12.894-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>Build Your Life Around God 神を中心にして生活を建てる</title><content type='html'>このブログで記事を書き始めて以来　自分が信じる事がだんだんと明らかに見えてきているように思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それを見つめれば見つめるほど現在周りに存在する殆どの教会の構成に納得がいかないことを個人で確信している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前私が教会に行きたいけど行きたくない理由に挙げたものは：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;①教会の目的が施設を大きくすることに集中している；&lt;br /&gt;②信者が集まる意味、各自に与えられた賜物を信者同士で分かち合う交じりを感じない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このシリーズはまだまだ続く。教会という場に対する愚痴をいっているつもりではないが（そう思われても構わないけど）、今現在多くの教会で見られる傾向を単に書き述べているつもりだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の望み通りの完璧な教会など勿論存在しないことは十分にわかっているし、そんな教会を必死で求めているわけでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あのメガチャーチではこんなフレーズを頭に叩き込まれた：&lt;br /&gt;”Build your life around the church."－教会を囲んだ生活を建てろ→教会を中心とした・基とした　という意味。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;教会に忠実に参加してさえすれば、、&lt;/li&gt;&lt;li&gt;教会のミニストリー参加してさえすれば、、&lt;/li&gt;&lt;li&gt;教会関連の学校に子供を入れてさえすれば、、&lt;/li&gt;&lt;li&gt;教会主催のイベントに忠実に参加さえすれば、、&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;br /&gt;という様な勘違いを起こしてしまうのでは、、はっきり言って私はそう勘違いしていた。お陰で大変寄り道させられてやっと今、何が一番大切なのか自分で理解できるようになった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が一番大切だと思うことは、私個人と神との関係。信者一人ひとりと神との関係である。だから教会に行かなくていいんだと言っているわけではないので誤解して欲しくない。私にとって教会に行く事はクリスチャン生活の中で第一に大切な事だとは思わないと言いたいだけ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般的に言えば神＝教会、又は教会＝神とされるが、新約を読む時、どうしても信者の集まり・集会というのが現在多くに見られる教会の構成と同じものとは思えない。神が住んでいる場所は信者の心の中であり、信者一人一人が集まることで教会・集会が成り立つのではないだろうか。教会とは施設を意味しているのではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;時代が変われば設定も変わる。確かにそうではあるが、集会の目的や意味もよくわからなくなっている；教会規模拡大にばかり力を入れ、メンバーに礼拝参加に忠実となることを要求し、教会方針に従う者のみを忠実な信者だと呼び、主ではなく牧師や専任師に対して崇拝する等など。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前Mr. Sugarさんのブログで新約当時の信者の集会に関連して書かれていた。Mr. Sugarさんは確か教会とは呼ばず、エクレシアと呼んでいた；看板を建てることもなく、自然に信者同士が家に集まり、集まった時の会話も自然に主を賛美し、教えあい、恵みを証し合い、祈り合い、共に食事をし、困っている者に食べ物を与え助け合い、、　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現在にある多くの教会では　礼拝へ行く度　何故かいつも何かを要求されているように感じる。これが殆どの教会にみられる有様だから誰も教会へ行きたいとは思わないのではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスの言葉を’聞きたい人’は’聞け’と言われたように勝手に聞きに来て、聞きたくなくなった者は去っていった。去っていった者を必死で連れ戻そうと何かで釣ろうとすることもなかった。人々は御言葉に導かれてやって来て、そして彼等の自分の意志で留まる決断をした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神が欲しがっているものはそれではないかと思う。必死で教会という施設に忠実になることではなく、私達個人の神に対する意志(Will)ではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;信者として礼拝・集会・教会が必要なのはわかっているが、&lt;u&gt;それ以前に&lt;/u&gt;個々それぞれが神を中心にして生きていないならばいくら礼拝・集会・教会に忠実でも何の意味があるであろう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1167779466485582174?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1167779466485582174/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1167779466485582174&amp;isPopup=true' title='10 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1167779466485582174'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1167779466485582174'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/06/blog-post_27.html' title='Build Your Life Around God 神を中心にして生活を建てる'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>10</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-4540302913262223093</id><published>2011-06-15T22:40:00.000-05:00</published><updated>2011-06-15T22:40:44.051-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>祈りのリクエスト～③</title><content type='html'>先日太ったクリスチャンの記事を書き大口を叩いた私はここの所　体重減少に励んでいてコメント管理が遅れ　新しい記事の更新も出来てませんが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;数日前に夫の元同僚の方が仕事が見つからずホームレスとなっているという状況を知った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前祈りのリクエストでも書いたように、仕事が見つからないままの状態でいる方は現在沢山おられる。まして東日本大震災で被害にあっておられる方々の事を考えると何とも言えない気持ちになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;長年通った（もう亡くなられた）牧師がラジオミニストリーでモットーとされていた言葉：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;"Be good to everybody because everybody is having a tough time."&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“誰にも親切に、誰だってつらい思いをしているんだから”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;金銭面で生活に不敏は無くても、人それぞれ色んな面で　悩み、苦難、試練、苦労、辛い経験にあるわけで、そう思うとますます人への対応の仕方を考えさせられる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“ホームレスになって６日経つけど一度もご飯を欠かしたことはない“と夫の元同僚の方が言っておられました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分が苦難の中にいると、その事だけしか見えなくて　自分が悲劇の主人公なのだという思いに落ちる傾向が人間にある。そんな時周りを見て、自分に無いものにフォーカスするのではなく、あるものに感謝したいと思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;少しでも経済状況が改善され、再び職を失った方に早く仕事が与えられる事祈り続けたい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-4540302913262223093?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/4540302913262223093/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=4540302913262223093&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/4540302913262223093'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/4540302913262223093'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/06/blog-post_15.html' title='祈りのリクエスト～③'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-7608697338233597762</id><published>2011-06-04T23:46:00.001-05:00</published><updated>2011-06-05T00:01:53.681-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>クリスチャンスクール</title><content type='html'>先日の卒業式で、高校卒業生一人ひとりが詩篇１１９章を各部分ごとに暗記して教壇に立ち交代にそれを披露した。丸覚えできてない子もいたが、賛美歌も何歌か歌ったり、聖書について盛り上がる詩の部分で男子学生が皆聖書を片手に持ち上げ’アーメン’という意味で聖書を振っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どーしてもそんなしぐさがわざとらしく見えてたまらなかったのは普段から我が子より色んな生徒達の事情を耳にしているからかもしれない。もっと嫌気が刺したのはそんな子供のしぐさに感動して必死で拍手する親達を見た時だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンスクールといっても宗派も分かれてピンからキリまであるが、個人的には２校経験がある。アメリカの公立学校はモラルが低すぎる事から私夫婦は子供をクリスチャンスクールに入れることを選択したのだが、感想を言わせてもらうと、期待外れでがっかりさせられることが多い。別にクリスチャンスクールと呼ばなくてもいいのではないかと思うこともある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうしてクリスチャンスクールに通っているのか意味不明な子供達が結構沢山いる。学年が上になるにつれてクリスチャンスクールに&lt;u&gt;‘行かされている’&lt;/u&gt;という様な証が目についてくる。その様な状況の中にいる生徒が他の生徒に及ぼす影響が時にはクリスチャンスクールに不必要な物だと思えて仕方がないこともあるのだが、金八先生が、「腐ったミカンが箱の中に一つあると、他のミカンまで腐ってしまう」 に反論したように人間（子供）の成長過程をみかんと比べるものでもないのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;牧師の孫が卒業式に出席していた。その子は去年高校を卒業したのに毎日のように学校でウロついているということを以前から耳にしていたが、実は卒業後、牧師の知り合いが運営する別の州にある同教派の神大学へ入学したらしい。数ヶ月で落第して戻ってきて、今はファーストフードレストランでバイト中。暇さえあれば学校でふらついていると。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一度も話したこともない私でも、その牧師の孫が神大学などに全く興味がないのは読み取れる。毎週教会にも出席しているが、聖書も持たずに後ろの席で携帯をいじくっているのが通常の姿。だからといってその子が神に興味がないという判断は個人的にはしたくない。教会に来ることも、クリスチャンスクールに通ったことも、牧師の孫として期待されることだからそう行わざるえないのかもしれないし。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方、昨年我が子の親友となった子の姉も何年か前に一度このクリスチャンスクールへ入学したのだが、生徒として自分の興味があることを伸ばせるプログラムなど無いから面白くないと２ヶ月で即　公立学校へ転校して行った。普通ならばクリスチャンとして公立学校に通うことで批判されるのが当然なのだが、この子は他人に揺るがされることなく自分をしっかり持っている子だといつも見ていて思う。明るく挨拶をしてくれるし感じの良い子だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンだからクリスチャン学校へ子供を入れるのが当然。クリスチャン学校へ通ったならばクリスチャン大学へ進むのが当然だというような観念は一体何を証明するのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;良いクリスチャンになって欲しいという要望を胸に、子供をクリスチャンスクールや大学へ入れ、その学校から卒業することで目的を達成したというような錯覚に陥る－クリスチャンとして生きていくということはそれ以上のことではないだろうか：クリスチャン学校へ通うから良いクリスチャンになるわけでもないし、通ったからといって良いクリスチャンであると成り立つ訳でもないんだから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;牧師の孫を見る度　その子が車に興味があるという印象を受ける。修理屋か何かになるために、専門学校みたいな方が向いているのではないだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;悲しい事に　この牧師の孫と同じ様な状況にいる若いクリスチャンは沢山いる。クリスチャンスクールに通わされても教会専任師に進む意志も無く、しかし公立高校はタブーだし、クリスチャン大学ではない大学なんて行かせてもらえない、とクリスチャンであるということを理由に　制限される。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;行く場が無くなってしまうのも当然ではないだろうか。牧師の孫が毎日のように卒業した高校に足を運ぶのは、当時牧師の孫として誰からもチヤホヤされた高校という場所が一番居心地が良いからではないだろうか。自尊心を失って欲しくないな、と思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-7608697338233597762?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/7608697338233597762/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=7608697338233597762&amp;isPopup=true' title='7 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7608697338233597762'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7608697338233597762'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/06/blog-post.html' title='クリスチャンスクール'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>7</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-242922282821457569</id><published>2011-05-28T11:33:00.001-05:00</published><updated>2011-05-29T00:53:15.356-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>太ったクリスチャン</title><content type='html'>アメリカでは今卒業式のシーズンだ。先日私もクリスチャンスクールの卒業式へ出席した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;式に参加しながら目についた事二つ：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ol&gt;&lt;li&gt;小学生から高校生まで女子学生９０％が肥満児；&lt;/li&gt;&lt;li&gt;子供をクリスチャンスクールに入れようと思う目的。&lt;/li&gt;&lt;/ol&gt;今回は①番について：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今からうん十年前、初めてＩＦＢ教会へ足を運んだ時も同じ様な印象を受けたのを今でも覚えている。肥満だけではなく、長ーいワンピースに身を包んだアメリカ人女性達を見て、クリスチャンとは皆こんなにダサいのかな？っと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;肥満であることが普通とされるアメリカ。其々色んな理由が裏に存在する事も　ここ数年肥満の方が５ヶ月間を通して体重を落としていく経過が綴られるテレビ番組で学んだが、小学生でもうすでに肥満型が現れているのを見るとなんだか可哀想というか、情けなくなったというか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“自分の体は神の宮だ”というような聖句を使ってタバコやお酒が悪い物だと教壇からよく唱えるが、大きな腹丸出しでスーツのボタンを閉められないほど太っている教会専任師達にそんな説教をされて子供達、特にテイーンなどの若者は彼等が言う言葉をどう受け入れるだろうか。ひねくれ者の私は、食べ物に自制できず大食いをするってのはどうだ？と言いたくもなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現在牧師をしておられる友人も、太った牧師は尊敬できないと言っていた。その理由はやはり、自制の証が現れていないからだと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;太っていくと年齢に合った洋服が着れなくなり、年齢上の服を着るようになる。それが体にピッタリ合うわけでもなく、どうしてもぶかつき、結局もっと体が大きく見えるようになるわけだ。時には自分の好みと合わない少し大人びた物を着ずにいられない始末。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大人にとっては’仕方ないだろ’で済ませることかもしれないが、そうやって育っていく子供はどんどん自分に対して否定感を持つようになっていくのではないかなあ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最後に卒業生と握手をした時、太った女学生は全く自分に自身などなく、横が広い白いローブを着させられてさらし者にされているのが嫌で仕方ないというような態度が丸見えだった。式後のレセプションではそのローブを着たままで’卒業生’だと称していたのは普通サイズの子供だけで、太った子は即ローブを脱ぎ取り　普段着で他の太った観客に交じりそまっていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;痩せていればいいってもんでもないが、キリストによって罪に打ち勝っているはずの私達大人が体型面でも子供達に教育し、手本となること、、少し考えさせられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;スポーツ選手でも　練習をする際、体操から練習まで選手と一緒になって参加する監督のほうが　横で立ってブーブー指令を出している監督よりも尊敬するし、その人の言う事に従い見習おうという気持ちが沸いてくるらしい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-242922282821457569?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/242922282821457569/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=242922282821457569&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/242922282821457569'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/242922282821457569'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/05/blog-post_29.html' title='太ったクリスチャン'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-6874969928085479938</id><published>2011-05-21T07:38:00.004-05:00</published><updated>2011-05-21T23:50:41.640-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='興味'/><title type='text'>終わりの日と言えば</title><content type='html'>先日　夫と話していました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;オバマがアメリカ大統領になって以来：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ol&gt;&lt;li&gt;エジプト大統領ムバラクが辞任；&lt;/li&gt;&lt;li&gt;リビア最高指導者ムアマル・カダフィ大佐の政府軍と反体制派の戦闘；&lt;/li&gt;&lt;li&gt;ビンラデンの殺害；&lt;/li&gt;&lt;li&gt;イスラエルがイギリスから独立した記念日近辺にレバノンやシリア等の隣国からの&lt;/li&gt;デモ。&lt;/ol&gt;中東での波が目立つ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そして先日　中東の平和統一を目指してオバマはイスラエル側に１９６７年当時のラインを境界とし　パレスチナに地を返却すべきだと発言した。イスラエルに背を向けるとは、今後アメリカはどうなっていくだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日は教会の掃除当番だったので昼食後にトイレ掃除をしに教会へ行ったところ、だーれもの姿がなく妙に不気味でした。後で気づいたが、そういえば今日はハラルドキャンピングが世の終わりと予測した日だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夕方のニュースでは、ハラルドキャンピングの予測の間違いがあちらこちらで批判されていた。無神論者達はこれをいいことにまたクリスチャンをあざけ笑うのである。ハラルドキャンピングの発言を全く信じていなかったクリスチャンの私でさえも、キリストの再臨を信じ待つことが可笑しいとされる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;とはいえ、‘この世の終わり’はよくハリウッドでも映画化されるテーマなのだ。&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;2012&lt;/li&gt;&lt;li&gt;The Day the Earth Stood Still - 地球の静止する日&lt;/li&gt;&lt;li&gt;Stand - スタンド&lt;/li&gt;&lt;li&gt;I am Legend - アイ・アム・レジェンド&lt;/li&gt;&lt;li&gt;ターミネーター&lt;/li&gt;&lt;li&gt;オーメン&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;など等、挙げるとキリがない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンフィルムの方では、クリスチャン作家ティムラヘイ著作、元ハリウッド俳優&lt;a href="http://fullhouseblog.blog.so-net.ne.jp/2006-12-28"&gt;カークキャメロン&lt;/a&gt;さん出演の&lt;a href="http://movie-fan.jp/2000/00012443.html"&gt;Left Behind&lt;/a&gt;という映画もあります。（彼が教会へ行くようになったのは現在の奥様（同じく元女優）との出会いがキッカケだったとも聞いたことがある）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンフィルムの多くは　やはりハリウッド作成の物と比べるとレベルが違うなと感じるけど、陳腐というか、演技に訓練がないところから反対に新鮮だと思えることもある。Left Behindで人々が取り残されたシーンを見た時、これが一番現実的だなと感じたのも覚えている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-6874969928085479938?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/6874969928085479938/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=6874969928085479938&amp;isPopup=true' title='1 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6874969928085479938'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6874969928085479938'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/05/blog-post_21.html' title='終わりの日と言えば'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>1</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-530451167503849541</id><published>2011-05-12T19:36:00.000-05:00</published><updated>2011-05-13T19:50:34.603-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>教会とカルチャー</title><content type='html'>クリスチャンといえどもピンからキリまで教派が分かれる。同じイエスキリストを述べ伝えている‘つもり‘なのだろうが、其々重点を置くものに違いが存在し分離に至る。分離はそこで終わるわけではない。同じ教派内でも色んな事柄の基準を基にそこからまたグループが分かれていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近コメントでアーミッシュの話が出たが、アーミッシュといえば殆どの人が想像するのが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;a href="http://2.bp.blogspot.com/-Mqt_14dpMvg/TcwZUxVKMeI/AAAAAAAABDU/AZrZ3P3fMGM/s1600/amish2x.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"&gt;&lt;img border="0" height="200" j8="true" src="http://2.bp.blogspot.com/-Mqt_14dpMvg/TcwZUxVKMeI/AAAAAAAABDU/AZrZ3P3fMGM/s200/amish2x.jpg" width="159" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: center;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;殻の大きな帽子&lt;/li&gt;&lt;li&gt;長いヒゲ&lt;/li&gt;&lt;li&gt;女性の頭に被り物&lt;/li&gt;&lt;li&gt;移民時代のような服装&lt;/li&gt;&lt;li&gt;電気、自動車など現代的な技術機器を使わない生活&lt;/li&gt;&lt;li&gt;外部から孤立したコミュニテイ生活、というような事。&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;br /&gt;アーミッシュが皆　上記の様な生活観を持っているというわけではない。元バプテスト派で現在メノナイト教会のメンバーとなった知り合い家族は、外見的には&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ol&gt;&lt;li&gt;色の着いたシャツは人の目をちらつかせる為　白色以外のシャツを着ることは禁止&lt;/li&gt;&lt;li&gt;男性の髪は横わけにする&lt;/li&gt;&lt;li&gt;男性は皆ズボンをサスペンダーを着けて履く&lt;/li&gt;&lt;li&gt;女性は頭に被り物をつける&lt;/li&gt;&lt;li&gt;女性は化粧禁止&lt;/li&gt;&lt;/ol&gt;などという決まりに従わなくてはならないらしいが、彼らは電話、テレビ、自動車、コンピューターなどの使用を拒否していない。外見的には何百年前の移民時代の服装に身を包むアーミッシュやメノナイト系でも現代技術機器を生活に加えているグループは沢山存在するのだが、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よくアーミッシュ系の批判として耳にするのは：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;ある一定の時代に留まっているのは可笑しい&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いくら現代技術機器を生活に取り入れていてもやはり服装が移民時代の様な物だからこういう批判はなかなか取り消されないのかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アーミッシュをその様に批判する一方、同じことが他の教派にもある程度言えるような気もする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;インデイペンデントファンダメンタルバプテスト教派でも（日本では独立根本主義バプテストとなるのか？）　以前も述べたように服装基準が存在する。アーミッシュ服装基準が‘&lt;u&gt;移民時代のもの’&lt;/u&gt;と言うならば、ＩＦＢの服装基準は‘&lt;u&gt;５０年代のもの’&lt;/u&gt;と言っていいだろう：男性は教会礼拝は背広にネクタイ。ショートパンツはダメ。普段着もスラックスに襟付きのシャツ。髪も短くさっぱり。ヒゲも口ひげもダメ。女性はズボン禁止等など。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アーミッシュ・メノナイト系の服装基準があまりにも現時代から離れたものだからやたら違いが目立つわけだが、どの教会・教派でもレベルは異なりながらも其々が抱く基準というものが存在し、其々その基準に留まる傾向はあると思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それらの基準は服装だけではなく色んな事柄にもある：教会・教派で使われる聖書の種類、音楽の類、政治観念や社交姿勢等など。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際、それらの事柄に対してどういう姿勢を取るかでクリスチャンであるかが定められるわけではないので、私はそれらを&lt;u&gt;其々の教会にあるカルチャー&lt;/u&gt;と呼ぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;個人的に其々の教会にカルチャーがあっても良いと思う。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分が参加する教会が色んな事柄に対して同じような姿勢を持つ人達の集まりであって欲しいという願望も理解できないこともない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;問題は、まるでそれらのカルチャーがキリスト信仰であるかのように強調されることだ；&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;信者の成長を十字架にあるキリスト信仰によって導き、同じ心　同じ思いに堅く結び合っていくことよりも（第一コリント１章１０節）、教会・教派にあるカルチャーによって教会側は信者を一（いち）とさせようとしているような気がするする&lt;/u&gt;。‘同じ心、同じ思いに結びつく’ということが、信仰に対してではなく、カルチャーに対して要求されているような。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アーミッシュの中にもその内のカルチャーの強調に疑問を持つ者はいるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;iframe allowfullscreen="" frameborder="0" height="349" src="http://www.youtube.com/embed/Lhoz_nLqMlI" width="425"&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カルチャーを強調するのは、集団をまとめたいという意思から始まるのだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それらのカルチャーを強く強調しなければ、そうでない人が教会へ集まるから嫌なのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;個々が持つ基準を基に構成されていくカルチャーは　強く宣伝しなくても自然に表に現れ、共通したカルチャーを求めるものは自然に集まり、違うカルチャーを持つ者は自然に去っていくような気もするんだが。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-530451167503849541?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/530451167503849541/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=530451167503849541&amp;isPopup=true' title='10 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/530451167503849541'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/530451167503849541'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/05/blog-post_12.html' title='教会とカルチャー'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' 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/&gt;終いには&lt;strong&gt;‘敵を愛し’&lt;/strong&gt;という聖書の言葉が出され、ビンラデンの死を喜ぶよりも哀れぶべきだと強調。（マタイ５章４４節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;“あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない、彼のつまずくとき心に喜んではならない。主はそれを見て悪いこととし、その怒りを彼から転じられる。悪を行う者のゆえに心を悩ましてはならない、よこしまな者をうらやんではならない。悪しき者には後の良い報いはない、よこしまな者のともしびは消される”　箴言２４：１７ー２４節&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この聖句が取り上げられた誰かのポストを読み罪悪感を感じた者は‘喜ぶのを止めた’とコメントに残していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ソロモンの言葉は当たっていると思うが、今となって哀れみを感じるべきだと意見を発する人の中に実際ビンラデンの悔い改めに対して神に祈りをささげていた人はどれだけいるんだろうかと一人で思っていた。今から哀れ感じ祈ったってもう遅い。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もし私が９１１で夫を失っていたら、このビンラデンの死をどう受け取るだろうかと考えていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ビンラデンの死が正当な処罰だと思うだろうか？夫の殺人者を殺害したことで夫の急死に幕を閉めふっきれるだろうか？ビンラデンの死を祝うパーテイを開いて大飲み食いするだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンならば、、っと反応の仕方まで指摘されるのは気にくわないなと思ったと同時に、この出来事をいいことに公衆で大騒ぎするのもどうかと思う。私が９１１の被害者であったならば、そんな人々の姿をテレビで見ても嬉しいとは思わないだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はビンラデンの死に対しての喜びは否定しない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それは９１１の被害者の為ではなく、ビンラデンによるテロ活動が少しでも静まることで将来の被害者が増えないこと、そしてビンラデンの異教から多くのアラブ人が解放され真の光に触れることができることを望みたいからだ。ビンラデンへの正当な処罰は創造主がしてくださる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際ビンラデンの教えに洗脳されて爆弾物を体に巻きつけ、栄光を得る為に自ら命を絶っっていったそんな我が子を失った母親のうち　心の底でビンラデンの死にせいせいしている者はどの位占めるだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ソロモンはこうも言っている：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;“正しい者が、しあわせになれば、その町は喜び、悪しき者が滅びると、喜びの声がおこる。　箴言１１章１０節&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;　　&lt;br /&gt;ヒットラーの死が確認されたのも５月１日だったと誰かがFacebookで言っていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1973335622542288609?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1973335622542288609/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1973335622542288609&amp;isPopup=true' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1973335622542288609'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1973335622542288609'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/05/blog-post.html' title='ビンラデンの死'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8414912541498926458</id><published>2011-04-30T07:00:00.003-05:00</published><updated>2011-05-01T21:58:42.215-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>クエーカー</title><content type='html'>&lt;div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;前回日本に帰った時、ブックオフ古本屋で夫に何か良いお土産がないかと探し見つけたこの本。&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;img border="0" height="200" j8="true" src="http://2.bp.blogspot.com/-lvrftWKYsRU/TbsOjSJQBBI/AAAAAAAABDI/QOJSm9TzBT8/s200/SeagraveYamato1b-201x300.jpg" width="134" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;この本を読み終え、日本天皇一家に関して以外なことを知った！と夫が話してくれた。昭和天皇裕仁様の母、そして祖母もクエーカーであったと。&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;クエーカーといえばオートミールで有名なウイリアムペンが頭に浮かびましたが、調べてみるとどうやらキリスト友会と呼ばれる団体のことを意味するらしい：一応プロテスタントの部に入る小さな教派とやら。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;結局はウイリアムペンとも関連するみたいだ。アメリカ　&lt;strong&gt;ペン&lt;/strong&gt;シルバニア州はウイリアム&lt;strong&gt;ペン&lt;/strong&gt;によって英国から迫害されたクエーカー教徒が安全に住める新天地として開拓されたと。&lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;クエーカーについてググってみると‘無教会主義’という言葉が必ず内容に出てくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんな説明も見つけた：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;〈〈&lt;span style="color: blue;"&gt;アメリカ合衆国の友会は、イギリス以上に細分化されているが、依然共通点が多い。礼拝の形態には2種類あり、&lt;b&gt;礼拝式次第(プログラム）のある集会&lt;/b&gt;（Programmed Meetings)と&lt;b&gt;ない集会(沈黙集会）&lt;/b&gt;（Unprogrammed Meeting)の2つがある。このような違いは、米国における友会歴史的分派に由来している。プログラムのない集会(静粛集会）の方の最小単位は、&lt;b&gt;集会（Meeting)&lt;/b&gt;または&lt;b&gt;月会（Monthly Meeting)&lt;/b&gt;と呼ばれ通常日曜日ごとの礼拝を行っている。こうした集会は、礼拝に決められた礼典の次第がないため「プログラムなし」と呼ばれている。誰かが語り始めるまで沈黙を保つことになっている。聖職者はいないが、様々な委員会や役職が、他宗派では聖職者が行うような重要な役割を果たすことが可能である。こうした人々は、&lt;b&gt;牧会監督会&lt;/b&gt;、&lt;b&gt;牧会評議会&lt;/b&gt;、集会書記、&lt;b&gt;長老&lt;/b&gt;、&lt;b&gt;重心会友&lt;/b&gt;（Weighty Friends)と呼ばれることが多い。通常&lt;b&gt;書記&lt;/b&gt;は聖職者に相当する管理業務をこなせる人が任命される。数箇所の月会は、&lt;b&gt;季節会&lt;/b&gt;と呼ばれる地域会合を形成し、更に通常&lt;b&gt;年会&lt;/b&gt;と呼ばれる大きな会合を形成する。プログラムのある会派は、&lt;b&gt;友会徒教会（Friends Church)&lt;/b&gt;と呼ばれることが多い。通常牧師を置いているが、いわゆる按手礼を受けた聖職者でなく平信徒の牧会担当者であるが、正式の牧会・神学教育を受けている場合が多い。（ちなみにクエーカーの神学校はインディアナのアーラム・カレッジにあるアーラム神学校　Earlham School of Religionである。）牧師の仕事は、礼拝の進行と賛美歌・礼拝・説教・牧会カウンセリングなどである。プロテスタント教会に似ているが、多くは沈黙の時間のプログラムなしの方式を一部取り入れている。プログラムのあるクエーカー教会は、プロテスタントの主流派に類似しているが、多くのクエーカーは、自分たちの教義をプロテスタントでも&lt;/span&gt;&lt;a href="http://www.blogger.com/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A" title="カトリック教会"&gt;&lt;span style="color: blue;"&gt;カトリック&lt;/span&gt;&lt;/a&gt;&lt;span style="color: blue;"&gt;でもなくキリスト教第3の道と考えている。現在のクエーカーの信仰は幅広く、信者の中にはキリスト教徒を自認している者から、無神論的傾向(nontheistic)をもつ者など様々であるが、少なくとも北米・英国では大多数がキリスト教の中でもリベラルな傾向を持っている。友会徒の集会には上記の中間のような会合もある〉〉&lt;/span&gt;&lt;a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC"&gt;ウイキペデア&lt;/a&gt;より。 &lt;/div&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;クエーカーの教義についてはあまりよくわからないが、Yamato Dynastyの本によると、裕仁様の母サダコ様は幼い頃からクエーカーの周りで育ち、聖書を毎日読んでいただけではなく、敬けんなクリスチャンであったと。サダコ様はクエーカーである方を裕仁様の家庭教師に付けられた。家庭内ではキリスト教の教えは禁止されていたらしいが、家庭教師と親しくなるにつれて裕仁様もが新約聖書に興味を示されるようになったらしい。&lt;br /&gt;&lt;div&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;サダコ様は特徴のある個性的な方だったようだ。クエーカーの平和主義はサダコ様に強く影響を与えていたのか、ウィキペデアではサダコ様は日本が第二次世界大戦に関わることにを強く反対されたと。政治的にもクエーカーの繋がりを通して彼女自身の意思を強く主張されておられたようだ。隠れながらも天皇ママゴンパワーが存在していたらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;戦争に敗れた後　天皇一家を日本国民の前で恥さらしにしないように事を運んだのもクエーカー達であったようだ。&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div&gt;日本人クエーカーの数は少なからずも昭和初期にはあちらこちらの地方へ散らばっていたのも確かならしい。当時の階級組織内には、夫は仏教徒や神道派でも奥さんはクリスチャンであるのも多かったと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こういうことから、天皇一家がクリスチャンなのか？と言うのは言い過ぎかもしれないが、誰かもっと詳しい情報を知っていたら共有していただきたいなあと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www2.gol.com/users/quakers/who_areJ.htm"&gt;Who Are The Quakers? クエーカーって誰？&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://www.asyura.com/sora/bd7/msg/601.html"&gt;裏の日本史/天皇家はクエーカー教徒だったのか？&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8414912541498926458?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8414912541498926458/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8414912541498926458&amp;isPopup=true' title='10 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8414912541498926458'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8414912541498926458'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/blog-post_30.html' title='クエーカー'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://2.bp.blogspot.com/-lvrftWKYsRU/TbsOjSJQBBI/AAAAAAAABDI/QOJSm9TzBT8/s72-c/SeagraveYamato1b-201x300.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>10</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-6980371496112580707</id><published>2011-04-26T13:25:00.018-05:00</published><updated>2011-04-29T12:57:09.984-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>復活祭の一日</title><content type='html'>&lt;span lang="EN"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;イースター・&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;復活祭&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;は普段よりも多くの方が教会に足を運んだようだ（&lt;span style="font-size: x-small;"&gt;私は風邪をこじらせて寝込んでいたが&lt;/span&gt;）。&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;気候的に考えてクリスマス&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;の礼拝&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;サービスよりも&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;教会&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;参加者&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;は&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;多い&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;かもしれない。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;復活祭&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;の数週間前になると&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;　&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;どこのデパートにも大人用・子供用と美しい花模様のドレスが&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;トントンと&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;売り出される。パステルカラーに花柄ドレスの横には白い靴、白い帽子、白い手袋&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;とイースター礼拝用の洋服とアクセサリーが続々と並ぶ。私一家も&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;メガチャーチに通った頃&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA"&gt;は&lt;/span&gt;&lt;span lang="EN"&gt;毎年イースタードレスを買ったものだ。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA"&gt;復活祭の当日は、教会はサワヤカな色のドレスを着た子供達でいっぱいになる。まるで天使のような純粋さをキラキラと輝やかせながらドレスの見せやいこをする。“〇〇ちゃんのドレス、凄いのよ～！”と互いに羨ましがる子供達。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;ついでに奥さんにも新しくよそ行きの服を買ってやろうとリッチな気分になる旦那さんも多い。礼拝サービスが始まるまで、新品の洋服に包まれた女性達は洋服セールの話で盛り上がる。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;礼拝が終わると、ある家族はそのまま外食へ、またある家族は友人や親戚を家に招きご馳走を共にする。長くても３時間弱でイースタードレスとはオサラバ！　‘まだドレスを着ていたい’とダダをこねる子供を‘イースターエッグハントはドレスを着てたら汚しちゃうよ！’と普段着に着替えさせる。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;食事の後、前日湯がいておいた２ダースほどのゆで卵を子供達が殻に色を塗る。天気がよければ親がそのゆで卵達を庭の所々に隠し、子供達が宝探しのようにそのカラフルなゆで卵達を探し歩く。イースターバニーと呼ばれるウサギが落として行ったウサギの卵だそうだ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;実の卵を使わず卵の形をしたプラスチックのケースを使う人もいる。その中にチョコレートやジェリービーンズというキャンディを入れたりする。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;大人たちは隠された卵を競争しながら探し歩く子供達を楽しみながらお茶をする。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-Okze9zXoGAk/TbcVxRsIkLI/AAAAAAAABC8/nk4ZT1MxFsY/s1600/images3.jpg" imageanchor="1" style="clear: right; cssfloat: right; float: right; margin-bottom: 1em; margin-left: 1em;"&gt;&lt;img border="0" i8="true" src="http://3.bp.blogspot.com/-Okze9zXoGAk/TbcVxRsIkLI/AAAAAAAABC8/nk4ZT1MxFsY/s1600/images3.jpg" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;div style="border-bottom: medium none; border-left: medium none; border-right: medium none; border-top: medium none;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;子供達の卵探しが終わったらご褒美にお菓子を与えたり、大人も含んでケーキとアイスクリームなどを食べる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これが、一般的にアメリカで見られる復活祭の一日である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;復活祭にウサギ、卵探しというのがどーも変だと思うが、まあ、クリスマスにクリスマスツリーと同じ様にペーガン・無神論者の祭り方と解釈すればいいのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="EN"&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;ちなみに、カラフルな色を塗られて庭に隠され拾われたゆで卵達は続日卵サラダやサンドイッチに使われるのである。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;br /&gt;この日のオメカシを目的に新品ドレスとそれに合うアクセサリーを買うのも　&lt;span style="font-size: xx-small;"&gt;（結構お金かかるんだこれが！女の子が沢山いる家族なんて大変だろうね）&lt;/span&gt;、イースター卵探しの準備も（卵をゆでる；色を塗る；褒美のお菓子準備）も毎年私はあんまり気が乗らないのが本音。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA" style="font-family: Times New Roman;"&gt;&lt;span lang="JA"&gt;アメリカの習慣の一つとして単に子供達に楽しませてやればいいのかもしれないが、イエスの復活を祝うことよりも、イースターバニーの日として子供の心に焼きつく方が強いんだろうなあ。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-6980371496112580707?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/6980371496112580707/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=6980371496112580707&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6980371496112580707'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6980371496112580707'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/blog-post_26.html' title='復活祭の一日'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://3.bp.blogspot.com/-Okze9zXoGAk/TbcVxRsIkLI/AAAAAAAABC8/nk4ZT1MxFsY/s72-c/images3.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8854302678276525191</id><published>2011-04-21T15:04:00.040-05:00</published><updated>2011-04-22T12:46:38.824-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='コリント1'/><title type='text'>単なる一般人</title><content type='html'>先日子供と同じ学校へ通う上級生の母親が癌で亡くなられた。私夫妻は今まで全く触れ合いが無かった御家族なのだが、子供と一緒に夫が告別式に出席した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;出席者の多くは勿論会ったことも無い親族や御家族の友人が殆どで、顔見知りといえば式を挙げられた牧師と片手で数えられる程の教会人のみ。‘よそ者’としてクリスチャンの告別式に出席させてもらった気分だったと夫は言っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会人は皆背広を着て葬儀に出席したが、その他の人々はＴ－シャツ、古びたズボンにつっかけという様な格好だったそうだ。残された旦那様はトラック運転手。よって御家族の友人には革ジャンのバイカーみたいな人も多かったと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;葬儀から帰ってきて‘御家族の事をもっとよく知っていたら、自分も背広など着て行かなかった’と夫は後悔していた。違和感を感じたのは服装の違いだけではなかったようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;式が始まる直前に私の夫は御家族のある知人から話しかけられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“貴方は教会関係の方ですか？”&lt;br /&gt;“はい。子供がＧ君と同じ学校へ通っています”&lt;br /&gt;“あーそう、教会の人達はこの度家族によくしてくれてるみたいだけど…”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;会話はそこで途切れてしまったらしいが、最後に言われた‘よくしてくれてるみたいだけど…’がとても気になったと夫は言っていた。その後に何を言うつもりだったのか知りたかったらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;牧師のメッセージに続いて旦那様が証をされた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうやら旦那様は刑務所上がりにこの度亡くなられた奥様Ａさんと知り合い、そこからの二人の人生を少し証された。旦那様がトラック運転手の職に就き、二人の生活は離れ離れが多かったため手紙のやり取りを長く続けられたらしい。奥様Ａさんから送られた愛のこもった数々の手紙を束にして旦那様はそれを御棺に入れられた：“私の妻Ａはこんな自分をまっすぐな人間に向け直してくれた人だった”と証されたそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;出席した教会人と一般人の服装の差、牧師のメッセージと旦那様の証、対照することではないかもしれないが、私の夫はこの度‘よそ者’としてクリスチャン告別式を体験し、教会人と一般人の‘不通さ’みたいなものを感じられずにはいられなかったと述べていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;夫曰く、きれいにクリーニングされた背広を身に着けながらも教会人達から‘私達は君達よりも清く正しい者で君達は外見からしても罪人っぽい人達だ’というようなお鼻高い印象は受けなかったらしいが、御家族知人が言ったあの‘よくしてくれてるみたいだけど…’という言葉から　何となくそこに集まった一般人達にとって教会人はとても近づきにくい存在であるということが現れているように感じたらしい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;牧師が聖句を並べて話した神の癒しのメッセージも、御言葉になじんでいる夫は十分に理解したが、出席された一般人達はどのように受け留めたのだろうかと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;御言葉の力を疑うわけではないし、全てを可能にしてくれるのは勿論主であるが、旦那様の証から　亡くなられた奥様Ａさんの短い一生にイエス様の愛が反映されているなと心を打たれ印象的であったとも私の夫は言っていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういった感想を聞き、じゃあもっと人々がイエスの救いを信じ受け入れるために教会人はこうしたほうがいい！ああしたほうがいい！っということをここで主張したいのではない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般的に言うと、人は‘神’といえば‘教会’と結びつけるわけで、殆どの教会という場が　外見だけではなく、霊的にも一般人にとって近づきにくい場になっていっているのではないかと一人で考えていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際、人が教会へ足を運ぶのは何らかのイベントなどで誰かから誘いを受け教会に行くことが多い。新約書で読み取れるように、&lt;u&gt;会堂で講義されていることが一体何であろうかと人々が興味津々になり、個々の意思で教会へ探りに足を運ぶなど、現在では有りえないと言ってもいいだろう。&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスがこの世に住まわれた時のことも考えてみた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスはどんな人と食事を共にしただろうか。&lt;br /&gt;イエスの足を涙で洗い、髪でその足を乾かした’あの罪深かった女’に対してイエスはどういう対応をしただろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスは人々が近寄りたくなるようなお方であった（し今でもそうである）ことは言うまでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パウロの言葉も思いついた：　第一コリント９章：１９節から２３節。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;b&gt;わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。 律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。 弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 福音のために、わたしはどんな事でもする。わたしも共に福音にあずかるためである。 &lt;/b&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスの救いを信じ、清く生きることに努めることで外側からも内側からも自分がお高い身のような気分になり、一般人と接することが出来ないような人間になってしまっては、異邦人を見下し律法を果たすことに努めたユダヤ人と変わりはしない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;キリストの血で&lt;u&gt;清められた者&lt;/u&gt;ではなく、&lt;u&gt;清められている者&lt;/u&gt;ということを忘れないでいたいと思った。私はその恵みを頂いている単なる一般人なだけなのだから。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8854302678276525191?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8854302678276525191/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8854302678276525191&amp;isPopup=true' title='7 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8854302678276525191'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8854302678276525191'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/blog-post_21.html' title='単なる一般人'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>7</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-4917678663408814259</id><published>2011-04-14T17:25:00.007-05:00</published><updated>2011-04-17T01:38:29.624-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='学び'/><title type='text'>イエスキリストの血～はばかることなく恵みの御座へ</title><content type='html'>ウオッチマンニーの「ノーマルクリスチャンライフ」を読みながら思った事：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;クリスチャンとして　自己との奮闘に疲れ果て信仰を失って行ってしまう人もいる。‘&lt;em&gt;やっぱり私はクリスチャンにはなれない’&lt;/em&gt;のような事を言うのだ。そこまで思ったことはないが、そう言う理由も何となくわかるような気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そういう発言は自分を人と比較する事から生じるのも有り得ると思うが、ウオッチマンニー曰く、&lt;br /&gt;&lt;span style="color: red;"&gt;神と一緒にやっていくにはイエスの血に関する最新の価値を知&lt;/span&gt;&lt;span style="color: red;"&gt;っておかねばならぬ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span lang="EN"&gt;私達信者は　神との良い関係が&lt;u&gt;イエスの血によって保証された&lt;/u&gt;ことはわかっているのだが、&lt;u&gt;保証されて以来神に近づくことが無くなる・それ以来どうやって神に近づけばいいのか気づいていない人が多い&lt;/u&gt;のではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスの十字架を通しての救いを信じ、始めは嬉しくて、感謝の気持ちに満ち、活気があるのだが、それでも自分の弱点が存在し、弱点に打ち勝てないことから罪や罪悪感に陥る。おまけに私が長年味わったような&lt;a href="http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/how-to.html"&gt;How Toサーモン&lt;/a&gt;の下にいるならばなお更　巷の解決法（心理学的）にも付いて行けない自分にうんざりする　→　やっぱり私はクリスチャンにはなれないわ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そう感じる人は実は正直なだけではないか。ある意味では必死で何度も解決法（心理学的）に励み、同じ円の中をグルグル廻っているだけよりはマシのような。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color: red;"&gt;私たちは弱いかもしれないが弱い所を見てばかりでも強くなれない。気をめいらせ、難行苦行をするからといって私達が少しでも聖なる者となる助けにはならない。それらには助けはない。&lt;/span&gt;&lt;span style="color: black;"&gt;とウオッチマンニーも述べている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;じゃあどうやって&lt;u&gt;神に近づき続ける&lt;/u&gt;ことができるのか。それは&lt;span style="color: red;"&gt;&lt;u&gt;&lt;strong&gt;イエスの血によってのみ&lt;/strong&gt;&lt;/u&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="color: black;"&gt;である&lt;/span&gt;。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;イエスの血は、私達がイエスを信じた時だけに働き　流れ去って行ったわけではない&lt;/u&gt;。&lt;span style="color: red;"&gt;イエスの血は効率性を失わない&lt;/span&gt;&lt;span style="color: red;"&gt;。だからイエスの血で毎回神に近づけることができるのだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だからへブル書の著者（パウロだと思う）は”&lt;strong&gt;大胆に（はばかることなく）恵みの御座に近づこうではないか&lt;/strong&gt;”と言ったんだね。（へブル４章１６節）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こういった教えがもっと頻繁に集会で教えられる・証されるならば、人々は自分の行いでクリスチャンしようなどとしなくなるのでは。&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-4917678663408814259?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/4917678663408814259/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=4917678663408814259&amp;isPopup=true' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/4917678663408814259'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/4917678663408814259'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/blog-post.html' title='イエスキリストの血～はばかることなく恵みの御座へ'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-3829609984400681665</id><published>2011-04-09T22:38:00.061-05:00</published><updated>2011-04-12T11:06:28.471-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='エペソ'/><title type='text'>Spiritual Blessings v. Material Blessings霊的祝福と物質的祝福</title><content type='html'>&lt;div&gt;エペソ書１章３節&lt;/div&gt;&lt;strong&gt;“私たちの主イエスキリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいまいした”&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ふと目に付いた言葉、霊的祝福－英語ではSpiritual Blessings&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私自身　神の祝福を感じ神をほめたたえるのはどんな時だろうかと考えてみた。恥ずかしながら、私が神を褒めたたえる時の多くは　自分の求めるもの、都合の良いことに対する神からの恵みが与えられる時が一番多いような気がする。霊的祝福Spiritual Blessingsというよりも&amp;nbsp; Material Blessings物質的な祝福に対してと言ったほうが適切かもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会自体が神からの祝福として証することも同じ様なもの。&lt;br /&gt;&amp;nbsp; &lt;br /&gt;＊今日は参加者が〇人増えました～God is good.&lt;br /&gt;＊今日〇人がイエスの救いを信じました～God is good.&lt;br /&gt;＊〇〇さんが宣教師・牧師になると決心しました～God is good.&lt;br /&gt;＊今日〇家族がこの教会のメンバーとなりました～God is good.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会人数が増え、施設が大きくなり、そこから専任師が出てくる事＝神からの祝福。一見霊的祝福だと感じられるが、結果からしてそれらはどちらかというとMaterial Blessings物質的祝福のように私は思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パウロがいう霊的祝福とは、続きの節を読んでいけば明らかにされる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;エペソへの手紙で延々と書き述べたのは（３章まで）、まず神が私達人間になされたことをパウロは人々にしっかり教えたかったからだろうか。そしてその後（３章後）パウロは人々が神にふさわしい者として歩むように書き残している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私達クリスチャンの多くは、&lt;strong&gt;天にあるすべての霊的祝福&lt;/strong&gt;を素通りし、物質的祝福へ先走りしているような気もする。物質的祝福に焦点を置きがちだと言ってもいいかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それもクリスチャンが長く続かない理由の一つかな、っとふと考えていた。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-3829609984400681665?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/3829609984400681665/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=3829609984400681665&amp;isPopup=true' title='6 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/3829609984400681665'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/3829609984400681665'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/spiritual-blessings-v-material.html' title='Spiritual Blessings v. Material Blessings霊的祝福と物質的祝福'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>6</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-3871251048422494113</id><published>2011-04-03T19:06:00.017-05:00</published><updated>2011-04-05T09:34:16.709-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><title type='text'>教会という場に求めるもの</title><content type='html'>何かの課題・トピックを選び、その課題を中心にする説教を英語で&lt;u&gt;Topic &lt;/u&gt;&lt;u&gt;Sermon/トピックサーモン&lt;/u&gt;と呼ぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;御言葉を書ごと、章ごと、一節一節読みながら解説する説教を&lt;u&gt;Expository Sermon/エクスポジトリーサーモン&lt;/u&gt;と呼ぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;大概の教会では日曜の朝の礼拝はトピックサーモン。水曜日や日曜の夜はエクスポジトリーで一節一節読みながら御言葉を教えている教会もある程度は存在するが、年々数少なくなっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: large;"&gt;トピックサーモン&lt;/span&gt;は聴き易く　御言葉の集中学習にもなる。トピックサーモンは、課題に関連する聖句を引用しながらの説教なので、説教中にあちらこちらと聖書の書を開かされるのが特徴である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;トピックサーモンをするには単に関連用語が出ている箇所を取り出せばいいってもんじゃない。ある章から一節のみ取り出すとしても　ちゃんと文脈を理解し説明できないと意味がないからだ。よって御言葉をしっかり理解し解読している人でなければ　トピックサーモンがトピックサーモンでなくなってしまうこともある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;トピックサーモンだと主張しながら実はそうではない説教もある。そういう説教の特徴は：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;引用する御言葉はどちらかというと少ない。&lt;/li&gt;&lt;li&gt;御言葉の文脈を無視して関連用語に集中する為、御言葉の意味の説明はない。&lt;/li&gt;&lt;li&gt;説教の‘おち’は必ず、結論・解決法を１、２、３、４、５と並べる。&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;br /&gt;私はこういうサーモンを&lt;u&gt;How To Sermon/How Toサーモン&lt;/u&gt;と呼んでいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊例えば‘怒り’を説教の課題・トピックとしてHow Toサーモンの成り行きを説明してみる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;箴言書にある数節を合読した後に続くのは大抵が笑いを混めた牧師の&lt;strike&gt;自慢話&lt;/strike&gt;　経験話。そしてまとめとして最後に５件ぐらい結論・解決法を並べる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１，２，３，４，５と並べられる注目の結論・解決法は御言葉からのくるものではないのが多い。それらは、巷にいくらでも転がっている‘自分との戦い’とか‘成功者になれるコツ’というような心理学的な本に述べてあるヒューマニステックなものばかり。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何故か　それらがまるで‘神の奥義’であるかのように教壇から唱えられる＊＊&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-size: large;"&gt;How Toサーモン&lt;/span&gt;で私が味わった危険は、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１，２，３，４，５と並べたものに従っておけば問題が解決するというような錯覚に陥る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;↓&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;時には　３までは何とかのり越えに成功するが、４，５には進めないため自分はクリスチャンとして失格だと思い、また１からやり直しという悪循環。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;↓&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;引用された関連用語からの御言葉の理解が無いため、その御言葉を見てもチンプンカンプンになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;↓&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;聖書を読まない・御言葉を頼りにしなくなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;確かに生活上　知恵を働かして生きて行く事に損はない。‘知恵’というとパウロがコリントへの手紙に残した言葉を思い出す。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、&lt;u&gt;しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである&lt;/u&gt;&lt;/strong&gt;。 第一コリント１章１７節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-family: Georgia;"&gt;&lt;span style="font-family: Georgia;"&gt;&lt;strong&gt;ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、&lt;u&gt;十字架につけられたキリストを宣べ伝える&lt;/u&gt;。&lt;u&gt;このキリストは&lt;/u&gt;、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、&lt;u&gt;神の力、神の知恵たるキリストなのである&lt;/u&gt;。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。&lt;/strong&gt; 第一コリント１章２２～２５節&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。 なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。&amp;nbsp; わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であったそして、&lt;u&gt;わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった&lt;/u&gt;。&lt;/strong&gt; 第一コリント２章１～５&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パウロは知恵や巧みな言葉についてどう述べているか。&lt;span style="font-family: Georgia;"&gt;&lt;span style="font-family: Georgia;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;外からすれば、礼拝に忠実で、奉仕にも参加し、見かけもクリスチャンしていた私だが、御言葉の中にはおらず、How Toサーモンの下で牧師が述べる解決法に付いて行けない自分がロクデナシなクリスチャンだと内で思うようになっていった。同時に、&lt;u&gt;諦めずに何度も解決法にトライすることでいつかは打ち勝つことができる、いつかは良いクリスチャンになれる！とも言い効かせておりました&lt;/u&gt;。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、この思考　↑　も勿論How Toサーモンでよく耳にした結論法の一つであるだけ。これが効果が無いとは言わないが、&lt;u&gt;これは神の奥義でも、パウロがいう’神の知恵’でもない&lt;/u&gt;。はっきり言って、聖書など読まない’何でも相談室’の先生でもクリスチャン語を除けばアドバイスとして口にする事だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このブログを始めた時にキリストにあるリバテイ（自由・解放）を証したいと述べました。これもその一つです。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-family: Georgia;"&gt;&lt;span style="font-family: Georgia;"&gt;上手く証し出来ていないかもしれないが、私が礼拝や奉仕に忠実であり、見かけ上立派なクリスチャンでありながらも　心の内で成功しない・打ち勝っていない失格クリスチャンだと思い込んでいたことから解放されたのは、皮肉なことに　How Toサーモンが多かったあの教会を去り、家で一節一節新約書を解読する方のメッセージを聞きながら家族で御言葉の理解を深めていったことから始まりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私に光を当てた御言葉はローマ書６章。　いつ読んでも元気を頂くパウロの言葉：&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;“このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである”　&lt;/strong&gt;１１節&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今、ワォッチマンニーにの『ノーマルクリスチャンライフ』という本をゆっくり読んでいる。この本はローマ書５章から８章を主（おも）にされ、彼の福音のメカニズムの理解が説明されている。十字架で流されたイエスの血の理解の重要さを説明している部分でうんうんと頷いた：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color: red;"&gt;“私達の罪は許されている、それは私達がしてきたこと、又はすることに神が見て見ぬふりをしているとか、見過ごしているとか、大目に見てくれているからではない。&lt;u&gt;神は私たちを見る時、イエスの血を見るのだ。よってイエスの血はそもそも私達の為ではなく、神のためである&lt;/u&gt;。イエスの血の価値を理解したいならば、神が持つイエスの血に対する評価を受け入れなければならない。神が定められたイエスの血に対する価値を理解しないならば、イエスの血が自分にとってどういう価値なのか知ることはできない”&lt;/span&gt;&lt;span style="color: black;"&gt;（&lt;/span&gt;私個人の訳）&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="font-family: Georgia; font-size: small;"&gt;&lt;span style="font-family: Georgia; font-size: small;"&gt;&lt;br /&gt;パウロは“&lt;strong&gt;十字架につけられたキリストを宣べ伝える”&lt;/strong&gt;と述べた。‘キリストの十字架’－解放はここにあると思う。イエスの血の働き、十字架での死というものを十分理解することで世界がまったく違って見えてくる。&lt;u&gt;心理学的な解決法からは解放には至らない&lt;/u&gt;。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;私一家が今の教会を選んだ理由も数々あるのだが、今の牧師は日曜日の朝も、夜も聖書を書ごと、章ごと、一節一節読みながらの&lt;span style="font-size: large;"&gt;エクスポジトリーサーモン&lt;/span&gt;だ。私一家がそれを好む理由はもう言わなくてもいいだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;勿論私一家の解釈と違った御言葉の教えを耳にすることもある。私一家はそれを恐れてはいない。ある意味では、そこから家族内で話し合いが生じたり、もっと個々が御言葉を読み直し理解を深める良い機会・刺激となると思っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は‘神が牧師に授けられた子羊達へのメッセージ’を&lt;u&gt;頂く為&lt;/u&gt;に毎週教会に行くというような姿勢は持ってはいない。牧師という地位を馬鹿にしているわけでもないので誤解しないで欲しいが、キリストの救いを信じた身であるならば、誰にでも神へのアクセスは与えられているわけで、そういう意味では牧師も信者も同じ位置にいると思う。加えて私の場合、理解できない事があれば夫に聞くことが出来る為こういう姿勢に堂々と出れるのかもしれないが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;副牧師は何人か任命されているし、教会には夫を含み‘イエスにあって忠実な聖徒たち’は何人もいる。そういう人達が持つ賜物も集まりで皆と分かち合えたらもっと楽しく、面白く、励まし合う交じりの場になるような気がする。以前の記事‘&lt;a href="http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_5672.html"&gt;教会に行きたいけど行きたくない～その②&lt;/a&gt;’で述べた‘交じりを感じない’というのはそういう意味だ。世間話での交わりなら仕事場でも充分できる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よって今の教会で異様に感じることも私一家では目をつぶれるのも確かである。反対に教会側から教会方針や運動に参加しないから出て行ってくれと言われたら何も言えないが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この記事を書きながら、やっぱり私としても教会という場に求めるものが存在するんだなと思った。そしてそれらが個々で異なるのも当然である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;E.B.さんが残されたコメント：&lt;br /&gt;〈〈それと教会にはいい意味で期待しない．．．これに尽きます〉〉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この位の度胸を持って教会に参加することができると一番幸せかもしれない。そうなるには、やっぱり個人が神を頼り、神の言葉を頼り、神との交じりを持っていることが大切だとつくづく感じる。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-3871251048422494113?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/3871251048422494113/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=3871251048422494113&amp;isPopup=true' title='7 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/3871251048422494113'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/3871251048422494113'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/04/how-to.html' title='教会という場に求めるもの'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>7</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-7272232204216020536</id><published>2011-03-29T10:48:00.012-05:00</published><updated>2011-03-29T11:24:34.646-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>日曜学校</title><content type='html'>現在通う教会で新しいことを始めたようだ。　新しいことといいながら、私一家はもうすでに以前のメガチャーチで見てきたことだが。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;年齢ごとに分けられる日曜学校クラス同士で参加者を増やすコンテストである。 毎週どのクラスがどれだけ参加者を増やすか礼拝サービスで成績公表をするらしい。　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目的はわかっている。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日の‘〇〇に忠実に～’という口調から、そしてこの日曜学校にもっと人を連れて来る‘運動’からも、おそらく目標は教会メンバーの増大。 先日はなんと“&lt;em&gt;この教会の設備費を払っているのは忠実に十分の一税を納めている人達のお陰だ&lt;/em&gt;！”とまで言い出した。現在の経済時勢で教会のローンの支払いや経費に困っているのだろうか。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私一家はもう４年近く日曜学校へは参加していない。　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家族で教会に礼拝参加することが良いこととされていながら、教会に到着すると家族が各自バラバラに個々のクラスへ去って行くというのが妙だと思う。特に幼児は礼拝サービスの妨げとされ、ナーサリー（子供部屋）へ連れられ、大人が説教を聞いている間に子守をされる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日曜学校の時間だけではなく　チルドレンチャーチといって　礼拝サービスも親とは別にある教会もある。大人は大人で礼拝。子供は子供達でのサービス。それが現代の教会が言う‘家族礼拝’なんだね。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日曜学校というものは、元々不運な立場にある子供達に福音を教えるために始まったものだと聞いたことがある。　しかし現在ではクリスチャンの親を持つ子供でさえも日曜学校やチルドレンチャーチへ送られ、赤の他人から神様の事を学ぶのだ。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;赤の他人から学ぶことが悪いと言っているのではないが、以前の記事&lt;a href="http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_25.html"&gt;教会に任せっきりな親とその下で育つ子供&lt;/a&gt;で女子大学生が証したように、一番の影響はやっぱり親から得るべきではないか。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日曜学校やチルドレンチャーチを除き、家で、毎日の生活の中で、御言葉や神の証を親の口から耳にする子供は一体どの位を占めるだろう。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;和らいだ雰囲気があった教会がなんか少しズレた方向へ向かっているようで、、悲しく思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-7272232204216020536?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/7272232204216020536/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=7272232204216020536&amp;isPopup=true' title='13 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7272232204216020536'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7272232204216020536'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/03/blog-post_28.html' title='日曜学校'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>13</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-2990143755173768324</id><published>2011-03-24T19:13:00.027-05:00</published><updated>2011-03-28T14:51:58.132-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>Be Faithful.....</title><content type='html'>先日久々に家族揃って教会参加出来たことはいいが、説教が始まる前に読まれたアナウンスメントでやたら耳についた言葉があった：Please be faithful to..... &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これに忠実に、あれに忠実にしてください、、 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よく容易く使われる言葉。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際　教会や奉仕に忠実でさえあれば、人の目にはその人が‘立派なクリスチャン’であるとされる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日曜以外に聖書を開くことがない人でも、家庭がグチャグチャな人でも教会内で何らかの指導者として選ばれたりする。第一テモテ３章に述べてあることを基準にするのではなく、その人が教会　又は牧師に忠実であることがまず第一の要件とされ報事係が任命されるのをあのメガチャーチで見てきた。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会という場所では、礼拝に、教会奉仕に、教会方針に忠実であることが　まるで神に忠実であると値されているように感じる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝に忠実&lt;br /&gt;教会奉仕に忠実　＝　神に忠実 ？&lt;br /&gt;教会方針に忠実 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の気持ちを言葉で伝えることが表現法の一つであると前回の記事で述べたが、大口を叩いてばかりで行動に出さないならばそれはそれで気持ちは相手に届きもしない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;〇〇に忠実に、、という要求によくくっ付いてくるのはヤコブ書２章からの聖句。信仰には行いが伴う；神を信じるならば／愛するならばそれを教会に、教会で、教会奉仕で示せというわけだ。そしてそれが神に対して忠実である証とされる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一昔　私も必死でおこなっていたが、今はそういう理屈がどうしても飲み込めなくなっている。　神に忠実であることは、教会や教会奉仕でしか表わせない、又は、教会や教会奉仕で&lt;u&gt;表さなければならない&lt;/u&gt;ことだろうか、そんなことないはずだ。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人が教会に行かなくなると‘あ～あの人は救われてなかったんだとか、信仰の薄い人とか、神から去っていった’などという見方をする。　私もしてきたことだ。 しかし現実的に教会に行かなくなる人の中には、教会という場所にある‘パターン’で神への忠実さを要求される・測られるのが嫌　又はそうやって‘立派なクリスチャン’してる人と同じように神への忠実さを上手く表現できないことから自分は落第者だと感じて去っていった人も多かった。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分が落第者と感じ、御霊が弱まる時　人は誘惑に負け安い。そうなって信仰を捨て‘古いもの’に戻っていってしまう人もいる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その一方、毎週日曜に教会に通うことで　ほそーい‘忠実の糸’にぶら下がりながら&lt;u&gt;なんとか&lt;/u&gt;落第からは免れ、自分は神に忠実だと満足している人は山ほどいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;面白半分に以前ダウンロードしたe-Swordのバイブルプログラムでbe faithfulと書かれている箇所を検索してみた。（キングジェームス訳）　'be faithful'で出てくるのは２節。教会で容易く使われているように信者に忠実を求める意味は全く無い。　be　と　faithful　が離れていながらも捜索で出てきたのが２０節。その殆どは、忠実なのは神、又は、神への忠実を意味している。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この度の日本大震災により、ひっそり送られてくる心配ったメールや、このブログに残されるコメントを通して、自分の行為を宣伝することなく黙って行いが伴っているクリスチャンがいるということをしみじみ知らされた。そういう人との交じりに惹かれるものがある。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何度も繰り返されたbe faithfulという言葉を聞きながら、教会という場であんな調子で忠実さを要求されることが気に食わなくなり、やっぱり家でおとなしくしておけばよかったと後悔した私はひねくれてるだろうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-2990143755173768324?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/2990143755173768324/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=2990143755173768324&amp;isPopup=true' title='8 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/2990143755173768324'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/2990143755173768324'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/03/be-faithful.html' title='Be Faithful.....'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>8</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-5841780314415083406</id><published>2011-03-18T21:05:00.013-05:00</published><updated>2011-03-18T23:25:47.309-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='学び'/><title type='text'>貴方の国と国民のことを祈っている</title><content type='html'>TBSもNHKもライブストリームを休止（？）終了（？）したようだ。　ここ２、３日、日本のニュースで流される報道とアメリカのニュース報道の差が目に付き始め、どれを信じていいのか分からない状態になっている。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先日　被爆を覚悟して福島原子力発電所で注水作業に専念することを志願した２０人と加えて派遣された３０人、計５０人の従業員のニュースが流れて以来、日本人に対しての感動の声が倍になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;友人だけではなく、夫が過去に勤めた職場の人からも日本にいる私の家族の安否を心配してメールが届いている。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘貴方の国と国民のことを祈っている’という数々のメール。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;思いがけない方々からのお言葉に感動し感謝しているが、直接被害にあったわけでもなく、救助を遠くから応援することしか出来ない私がこうして人々の言葉から温かいものを頂いていることに申し訳ない気分にもなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、その温かい言葉は、つらい目にあっている母国の人々の映像を見て感情的になる私の心の癒しとなっているのは確かだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;言葉とは、力のあるもので、それを表現するということの意味を改めて考えさせられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;世界中が日本の災害で大騒ぎしているのに、まるで無関心のように私の家族の安否も聞いてこない職場の人達や教会人達、フェイスブックでいつもと変わらずゲームをして遊んでいる人達をみて、ここ２，３日少しイラつく自分があった。 まあ　ある人にとっては他人事は他人事に過ぎないのであろうが。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;同時に友人が離婚騒動となっていることも発覚し、彼女に優しい言葉をかけてあげる必要性を知らされた。　悲しみの中にいる人はこんなに近くにいるんだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私個人に送られてくる電話やメールから、そしてこんな災害に合いながらも慎み助け合う日本国民の忍耐性が採り上げられた記事に残されるコメントからも、日本という国が愛されているなと感じる。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘貴方の国と国民のことを祈っている’という一言や短いコメントからでも人の好意を感じ取る事ができるんだったら、同じように自分が気がかる気持ちを　たった短い一言でも人に表現することで　実際どれだけ人は励ましを得ることができるだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;～親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする～&lt;/strong&gt;箴言16章24節&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-5841780314415083406?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/5841780314415083406/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=5841780314415083406&amp;isPopup=true' title='16 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5841780314415083406'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5841780314415083406'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/03/blog-post_18.html' title='貴方の国と国民のことを祈っている'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>16</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-896113142536898714</id><published>2011-03-14T20:13:00.021-05:00</published><updated>2011-03-17T14:54:35.088-05:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>Operation Chick Tract - オペレーションチックトラクト</title><content type='html'>&lt;strong&gt;#####&lt;/strong&gt;は追加事項&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;色んな国からの支援が日本へ届いていることをニュースで知り、同日本人として感謝せずにはいられない。　私のようにアメリカに住む人の中でも、自分達に何かできることはないかとひたすら祈りをささげたり、アメリカから寄付を送る方も出ています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家を無くし、家族の安否不明で、予備に着る服もなく途方に暮れたように避難所で過ごす方々の姿を見ていると胸が痛いです。　現地へ行って食糧や衣類配布、片付け、治療の手伝いでも何でも　体で援助を示したい気持ちが私の中にもありますが、今の私の状況には無理な事です。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祈る他に何ができるだろうかと考えていた時、ふと、第二次世界大戦後にダグラスマッカーサー将軍が何百人かの宣教師を日本へ送り込むことを政府に要求したようなことを夫が何かの本で読んだ事を思い出しました。　確かマッカーサー将軍だったと思うんだが．.&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。 しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである&lt;/strong&gt;。 ローマ書10章11～15節。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;避難所で退屈そうにおにぎりを食べている子供達の映像が目に付き、この記事の題にした案が浮かびました：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;－Operation Chick Tract ・オペレーションチックトラクト－&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;img style="TEXT-ALIGN: center; MARGIN: 0px auto 10px; WIDTH: 200px; DISPLAY: block; HEIGHT: 118px; CURSOR: hand" id="BLOGGER_PHOTO_ID_5584141557558282066" border="0" alt="" src="http://4.bp.blogspot.com/-qR4DOikBvQ4/TX7bKRnCB1I/AAAAAAAABCc/lxhFQmMIj8E/s200/0884_01.gif" /&gt;&lt;br /&gt;アメリカで伝道の一つとして使われるトラクトがあります。　漫画化されていることから、街中で配布しても人が拒否しにくく、読み安い物とされています。　英語の種類は沢山出ているのですが、日本語は４冊種類となっています。　&lt;a href="http://www.chick.com/catalog/TractList.asp?language=Japanese"&gt;こちらのサイト&lt;/a&gt;へ行って各種のトラクトをクリックすれば内容が読み取れます。　 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;それで、思い浮かんだ案というのは、夫と相談した結果、これらのトラクト、できれば何千冊かを現地で配布すること。　漫画が好きな日本の子供達の手にもきっと行き渡りやすいのではないかと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;トラクトの購入と郵送は勿論私達が取り計らいます。　問題は、私達がじかに配布しに行く事はできない為、日本にいる方に頼まなければなりません。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現在原子力発電所からの被爆問題があることもわかっています。　きっと私達が無知な状況も存在する事でしょう。　もしかすると法的に無理なことかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何名か当てになりそうな知人もいますが、この案に関して意見を聞かせていただきたいのと同時に、個人でも、ある教会を通してでも、このトラクトを現地で配布することに興味があれば、コメントに残すか、サイドバーにあるCONTACTの欄を使って連絡していただきたい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;#####&lt;/strong&gt;オペレーションと題したことから、一般の伝道作業と思われがちのようです。　一番理想的なのは、被害地へ救助目的で向かわれる予定の方、もしくは教会から救援団体として向かわれるグループがこれらのトラクトを持参し、救助・援助中についでに、何気なく人々に渡すだけという感じです。　救助はまだまだ長く続くことでしょう。　よって今あせって、というわけでもありません。　救助へ行かれる方の安全もありますし、トラクトの方も、配布参加が決まってからオーダーとなり郵送も時間がかかります。　ここ先２，３ヶ月を目安としていただければどうかと&lt;strong&gt;#####&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;災害に合い、神の助けを求める人が沢山いると思う。　神はその叫びにきっと耳を傾けられ、救いの光を照らされることは間違いない！　同時に、信者としてそれがどういう御方であるかということを何らかの手段で知り広めることができたらと－－現在の状況では、このトラクトを一つの手段として。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;実際これらのトラクトがあまり現実的でないと思われるかもしれませんが、信仰の種まきだと思ってくだされば。主がその種に水をまいてくださるはずです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;．．．しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。 つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか．．．&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-896113142536898714?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/896113142536898714/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=896113142536898714&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/896113142536898714'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/896113142536898714'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/03/operation-chick-tract.html' title='Operation Chick Tract - オペレーションチックトラクト'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://4.bp.blogspot.com/-qR4DOikBvQ4/TX7bKRnCB1I/AAAAAAAABCc/lxhFQmMIj8E/s72-c/0884_01.gif' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1455050358037487534</id><published>2011-03-11T23:46:00.006-06:00</published><updated>2011-03-12T18:47:28.262-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>祈りのリクエスト～②</title><content type='html'>このブログにコメントを残してくださった、道川さん、ヨエルさん、dai531さん、電気屋さん、電気屋さんの奥様、エシュコルさん、E.B.さん、ワッフルさん、そしてコメントは残さなくてもこのブログへ訪れてくれた方々へも、皆さんがどこに住んでいらっしゃるかはわかりませんが、私は祈っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;５００年に一回という大災害。　遠いアメリカからネットでニュースを見ながら何ともいえない気持ちになっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;幸いな事に、私の家族や親戚にはじかに被害はありませんでしたが、人事とは思えず、ニュースを見る事を止められない自分があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まだまだ続く地震、連絡の取れていない列車、泥沼に埋まれている２千、３千件の家、建物の倒壊、道路状況、福島原発の状況と、、被害は続き、市、町、土地の再建、生活の復帰に今後長い時間がかかるであろう。　予測も出来ない状態だ。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;被害にあわれた多くの方々も含み、私の祈りに皆さんのことを忘れはしません。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1455050358037487534?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1455050358037487534/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1455050358037487534&amp;isPopup=true' title='3 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1455050358037487534'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1455050358037487534'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/03/blog-post.html' title='祈りのリクエスト～②'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>3</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8866664972561837041</id><published>2011-03-07T20:23:00.021-06:00</published><updated>2011-03-08T22:02:35.655-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='興味'/><title type='text'>Grace Awakening－恵みへの目覚め</title><content type='html'>私のように教会組織の教訓から一歩離れ、イエスの恵みの下で真の神のみを見つめるようになることを“Grace Awakening"（グレースアウェイクニング・恵みへの目覚め）と言うらしい。　このフレーズは長年牧師をされていたチャックスウィンドルという方が書かれた本を基に巷で使われるようになったようだ。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は前回の記事にある大学女性のようにクリスチャン家庭で育ったわけでもないけれど、どうして自分がイエスを見つめるよりも教会という団体組織の教訓に重心を置くようになっていったのか？とよく考え込む。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あんまりこんな事を分析しなくてもいいのかもしれないが、原因を見つけ出すことで自分の子供が私と同じような道に巻き込まれないように注意を図ってやれるかと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;前回の記事に残された電気屋さんの奥様が書かれたコメントに私も共感することがあった：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＞＞＞．．．．．教会の集まりが悪いとはいいませんし、また全ての教会がそうであるとは言いません。ただ人の影響力が強く　何をするにもそこのしきたり、色というかがまとわりついているように思います。またその色に染まっていることが安心になってしまっていくような、私は確実にそうでした＜＜＜&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私もその通りだったなあ。　周りに圧倒されていたのも確かだけど、自分でゆっくりと御言葉を読みながら聖霊に任せて色んな事を理解し成長していくことよりも、教会の環境にある色に一生懸命染まろうと必死だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;外（見かけ）を完璧にすることは内よりも簡単でもある。 だから私は聖書を手にするよりも、外見を磨く事に専念したのだろうか。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Grace Awakeningの本の書評を探していると興味深いことが書かれてあるのを見つけた。&lt;br /&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;著者はLiberty（リパティ・解放／又は選択の権利）とLegalism（リーガリズム・律法主義）の比較と説明をする。　&lt;/li&gt;&lt;li&gt;恵みを殺す物として著者が挙げるのは律法主義にある３つのツール：&lt;u&gt;キリスト教義の異端&lt;/u&gt;、&lt;u&gt;教会という場を使ってのハラスメント・嫌がらせ&lt;/u&gt;、そして&lt;u&gt;人の猫かぶり&lt;/u&gt;。 &lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;p&gt;頷けるものがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一方この本の批判もあるわけで、それも読んでみた。以下はほんの数件。&lt;/p&gt;&lt;ul&gt;&lt;li&gt;スウィンドルが言う‘恵み’というのは信者の心の悔い改めは含まれていない。そういった教えから、‘私は罪を犯すが、神はそれを許してくれる’というような都合の良い事を基にした神との関係が福音であると　未信者や偽信者は受け取るようになってしまう。&lt;/li&gt;&lt;li&gt;この本はこの世を満喫し、自分が行う罪に関して罪悪感を持ちたくない人達の為に書かれた本である。 &lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;p&gt;結構鋭い指摘だったりして～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１９９０年に発売されたこの本は現在５０万冊以上のコピーが売られていると。　この本によって解放された人もいれば、これも一つの偽り教訓として受け取る人もいるようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;個人的には、パウロがローマ書３、４、５章で説明する恵みと律法の比較で　その違いが見えてきたと言えるし、毎回読み直す度にもっと見えてくると言ってもいい。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;面白そうな本ではある。　どこかの図書館でタダで借りれるんだったら読んでみようかなあっとも考えている。&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8866664972561837041?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8866664972561837041/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8866664972561837041&amp;isPopup=true' title='7 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8866664972561837041'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8866664972561837041'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/03/grace-awakening.html' title='Grace Awakening－恵みへの目覚め'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>7</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-6365823705640594981</id><published>2011-03-02T08:35:00.005-06:00</published><updated>2011-03-02T21:47:19.124-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>教会に任せっきりな親とその下で育つ子供</title><content type='html'>“君が共感しそうなブログの記事を見つけたよ”と夫がリンクを送ってきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神学校に通うある大学女生徒が彼女が尊敬する著者に心をぶちまけた手紙が載っていた。　省略して私なりに訳してみた。　オリジナル英語版は&lt;a href="http://www.caryschmidt.com/2011/02/saddest-letter-ive-ever-read/"&gt;こちら&lt;/a&gt;から。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#ff9966;"&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;私が生まれる前から私の父は教会で忠実に奉仕するクリスチャンワーカーでした。　私は幼い頃からクリスチャンスクールへ通い、名の知れたインデペンデントファンダメンタル（独立根本主義？）バプテスト教会で中で育ちました。　只今神大学3年生です。　こういう経歴から私の証がきっと‘５歳時にキリストの救いを受け自分の一生を神にささげる決心をし、神に仕えながら成長してきました。現在神に仕える専任師となるように勉強しています’というような証だと思われるでしょう。しかし実際私がキリストの救いを受けたのは１７歳の時でした。　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;12歳の頃から大学生となった今でも私は色んな問題と葛藤しています。　それらの問題は深刻な事柄です。　神大学に来て、同じようにぬくぬくとクリスチャン家庭で育った‘良い子達’が私と同じように色んな問題と葛藤してきた、そして今でも葛藤しているということを知り、私一人じゃないんだということを発覚したんです。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;私達が葛藤する問題というのは、摂食障害、うつ病、自殺感、ポルノ、自己の性別認識、同性愛、麻薬、飲酒、不品行等などリストを挙げればきりがありません。　激しい音楽を聴いたり、芸能人をアイドルと拝し、みだらなコメデイ番組を見たり。　娯楽、服装と　何のライフスタイルに関しても区別を持ちません。　まあ、一般的な問題を取り上げているので、私と同じように‘良い子’として育った人が皆この様な問題に悩み葛藤しているわけではありませんが。。。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;何が言いたいかというと、&lt;u&gt;私たちが悩み葛藤する事柄はどちらかというと‘問題児’に属するものとされますが、しかし実際はクリスチャン家庭で育った‘良い子’である私達の中にも存在するんです&lt;/u&gt;。　残念な事に私達の両親や教会のユースワーカー達は私達がこういう事で悩み葛藤していることに気づいていないし、それに気付いても　そんな私達をどう対処していいかもわからない。　率直に言えば、“もし生徒の一人が同性愛者だったらどうする？”と一般のクリスチャンスクールの先生や教会奉仕者に聞くならば、彼らは返答に困るのみ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;私が主張したい事は、彼等（親や先生達）が子供・生徒が持つ問題に関して無知であるということでもないし、彼らが処理法に欠けることでもありません。　教会の囲いの中で育った‘良い子達’がそういった深刻な問題に悩み葛藤することには単純な理由があると私は思うんです。　そして解決法も。。。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;きっぱりと言わせてもらいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;u&gt;私達の親は神を愛することを私達子供に教えることに時間を費やさなかったんです&lt;/u&gt;。　幼稚園児から私達を日曜学校へ入れ、毎回戸が開く度教会へ連れて行き、ユース活動へも私達を送り込みました。聖歌隊で歌を歌わせ、教会で幼児の子守を手伝わせ、教会の案内係とし、伝道へも行かせ、私達が良いクリスチャン大学へ行けるように取り計らいました。　若者同士でデボーションをし合い、毎回食事をする時感謝の祈りをし、私達は全てちゃんと正しいことをしてきました。　親もちゃんと私達がそうするように見張り確認してきました。&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;&lt;u&gt;しかし、彼らは私達の心というものを忘れてしまったのです。　聖書は　神のこと、神に関する事を子供に教えることを教会には命じていません。　親達はそれを忘れています。&lt;/u&gt;　&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;&lt;u&gt;その役割は父親の足に置かれてあるのではないでしょうか&lt;/u&gt;。　&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#ff9966;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;悲しい事に父親達は私達と過ごす時間などありません。　彼らは私達が聖書に囲まれるような場所へ送り込むけれど、神が彼等にとって重要だから自分の子供に個人的に時間をかけて神様のことを話してやろうとはしてくれませんでした。 &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#ff9966;"&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;&lt;u&gt;だから私達にとっては、キリスト教というものがうわべだけの宗教にすぎなくなってしまったんです&lt;/u&gt;。　良い事・正しいことをしておけば良いクリスチャンだと思われる。 だからある数人は教会から離れて行き、また別の数人は教会にとどまるけど、教会の座席をうめているだけ。 私達の多くが親が想像もつかない事に悩まされ葛藤しているのは、親達が私達のことを全く知らないからだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;&lt;span style="color:#cc0000;"&gt;こういった問題はまず第一に子供が親から孤立すること、第二にキリスト教の本質に関して理解が無いことから生じるのではないかと私は思うんです。（キリスト教とは、クリスチャンならこーである、あーであるというような規則のリストではなく、神との関係ではないだろうか）　私みたいな若者達はキリスト教というものを誤解しているから本当に救われているのか不安である、、、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これらに関して本か何かを書いてくれたら親達の目が開くようになり、事態は深刻なのだと親達は理解するようになるかもしれない－私達子供は親をひどく必要としているんですよ。　&lt;br /&gt;&lt;/span&gt;＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よく度胸を出して書いてくれた！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a href="http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html"&gt;クリスチャンのつまづきの記事&lt;/a&gt;からでもわかるように、私も長い間クリスチャンであるということは&lt;u&gt;教会に忠実に&lt;/u&gt;、&lt;u&gt;奉仕に忠実&lt;/u&gt;に、&lt;u&gt;行いに忠実&lt;/u&gt;にというような受け止め方をしていた。　いい大人の私が教会環境の中でその様に感じ取ったのならば、子供達も混乱するのは当然だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼女が述べたように‘子供を教会やクリスチャンスクールに入れておけばー’っといった様な親の現象は私も以前からずっと気になっていた。　だから子供が親元から離れて飲酒、麻薬に走ったり、教会に来なくなったり、教えた覚えのない行動をし始めると、「幼い頃から教会に行かせ、クリスチャンスクールにも通わせたのに、、」という様な事が親の口から出てくる。 &lt;u&gt;自分達の責任を教会やクリスチャンスクールに放棄していることに気づいていないのか、それとも神の事を学ぶのは教会やクリスチャンスクールでしか学べないと思っているのか&lt;/u&gt;、、、、、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このジレンマはクリスチャン家庭内だけではなく、一般子育てに言えることではないだろうか。　善・悪・モラル・物事の判断を教えるのは親の役割である。　何も教えないならそれが教えとなる。　この女学生の主張からわかるように、何事に関しても&lt;u&gt;子供が一番求めるのは親のガイド&lt;/u&gt;ではないかと思う。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;神様が大切だ！と言って子供を教会やクリスチャンスクールに押し込みながら、自分の子供に神の存在や御言葉の意味を教える事ができないとはどういうことだ？　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なんか事が逆さまになっているように思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;家で親が教える事が外（教会やクリスチャンスクールだけでなく、一般社会）で再確認されるのが本当は筋が通ることではないだろうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-6365823705640594981?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/6365823705640594981/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=6365823705640594981&amp;isPopup=true' title='13 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6365823705640594981'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6365823705640594981'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_25.html' title='教会に任せっきりな親とその下で育つ子供'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>13</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-9144234822545313776</id><published>2011-02-28T09:01:00.005-06:00</published><updated>2011-02-28T10:23:21.148-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='交じり'/><title type='text'>祈りのリクエスト</title><content type='html'>よくお邪魔するブログの記事に残されたコメントから、ある方が試練の中にいらっしゃることを知った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;詳しいことはよくわからないし、探るつもりもない。神は誰のことをいっているかご存知である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;息詰まるような事情の中、一人ぼっちの寂しさを感じていらっしゃるような気がして、、、私もそう感じた時期はあった。　誰もが一度は経験することかもしれない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日このつたないブログへ訪問してくださった貴方に、今その場でこの方に祈りをささげていただきたい。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;“だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである&lt;/strong&gt;”　&lt;strong&gt;ヤコブ５章１６節&lt;/strong&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-9144234822545313776?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/9144234822545313776/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=9144234822545313776&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/9144234822545313776'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/9144234822545313776'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_28.html' title='祈りのリクエスト'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1282078290695543552</id><published>2011-02-24T15:42:00.003-06:00</published><updated>2011-02-24T20:26:48.193-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ローマ書にて'/><title type='text'>クリスチャンのつまづき</title><content type='html'>前回の記事の終わりに『もし自分が間違ったことをしたとしても、その一つの行動でラベルをつけられるのは嫌だなあ．．．』と書いたものの、自分も同じような事をしてきた。　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が長く属した教派では、女性がズボンを履くことが‘神が忌嫌う事’だと説教する。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よって教会外でズボンを履いているメンバーを買い物中に見かけたりすると、同じように‘あ、あの人はクリスチャンでありながら、、’と心の中で非難したものだ。　クリスチャンと言いながら平気でズボンを履いている夫の姉妹達（別教派）に対しても彼女らの信仰を疑ったりした。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女性がズボンを履く事だけではなく、信者が他信者を批判・非難・比較する基となる関心事は山のようにある；髪型（男女両方にいえる）；教会に来る格好；音楽、映画の趣味；仕事に出る女性クリスチャン；政治観；クリスチャンとお酒；礼拝参加の忠実さ；ハロウィーン祭に参加するかしないか；クリスチャンと社交、など等言い出すとキリがない。　全ての事にどういう姿勢を持つかによってラベルを張り合うわけだ。　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それらの事柄は十字架に基づくキリスト教義とは全く関係ないものが殆ど。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人がクリスチャンとしての生き方みたいなものを見い出そうとする時　批判・非難・比較が生じるものかもしれない。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よく耳にするフレーズ（自分も口にしたことがあるが）、‘私はクリスチャンだから、、’とか‘クリスチャンになったから、、’というような発言には　まるでクリスチャンという‘型’が存在することを証しているように思わせる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある意味では　未信者はそれを‘規則’と受けいれるわけだ－宗教は皆同じ＝自分を束縛するものばかりだから嫌だと。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;取るに足りないことで初代にも人々が批判・非難・比較し合っていたことはローマ書や第１コリント書でも読み取れる。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;肉を避け野菜だけを食べる事にこだわる者、一定の日が他の日よりも大事だとこだわる者、酒を飲まないとこだわる者などをパウロは‘信仰の弱い者’と呼んだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;信仰の弱い者とそうでない者、互いに異なる姿勢を持つ両者に、ローマ書１４章でパウロは何と言っているか？？？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;**私とズボンの件に関しては苦い思い出がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;キリストを信じて間もなく、牧師夫妻を家に招いて夕食を楽しんでいた時、牧師のページャーが鳴った。（携帯などない時代）　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;急用かと牧師が折り返し電話をしてみると、報事係からの連絡で、私がズボンを履いて教会に来ることを他の女性メンバーが達が怒っているという話だった。　その件に関して何の手段も取ろうとしてない牧師に対しても女性達は怒っていると。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女性がズボンを履くことが何故クリスチャンとしていけないことなのか自分の心に納得も無いまま、教会内で波を起こしたくないという理由から夫と私は私がズボンを履くことをやめることにした。　皮肉な事に、気づかないうちに自分も同じようにズボンを履く女性を批判すようになっていってたんだ**&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あれから十年以上経ち、パウロが１４章で主張することが見えてきた：クリスチャンであるということは、〇〇をするから、ｘｘをしないからと定義することではないんだと。　それ以来私はズボン禁止から解放された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;信仰の弱い者に彼等の見解が根拠の無いものであると証しながら、パウロはそうでない者に対しても信仰の弱い者を軽んじるべきではないと言った。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はパウロの言葉から、そして自分の苦い経験からも、今後は自分と異なる物事の姿勢を取る人に出合う時、自分の物の見方でその人を義務づけたり、縛ろうとしたり、批判・非難・比較しないよう気をつけたいと思う。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;”こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります&lt;/strong&gt;”とローマ書１４章１２節に述べてある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この節を心に留めておくと　御霊が個々それぞれに何が許されているか導くはずだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1282078290695543552?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1282078290695543552/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1282078290695543552&amp;isPopup=true' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1282078290695543552'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1282078290695543552'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_24.html' title='クリスチャンのつまづき'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-1900080751745347543</id><published>2011-02-20T03:55:00.008-06:00</published><updated>2011-02-23T11:07:33.319-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='疑問'/><title type='text'>‘クリスチャン’と‘信者(Believer)’の違い！？</title><content type='html'>&lt;p&gt;数ヶ月前からずっと気になっている事がある。　牧師の奥様である友達（アメリカ人）が‘クリスチャン’と‘信者’の違いについてブログで説明していた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話は、“クリスチャンである彼女がそんな事するなんて信じられない！”っと教会メンバー同士が言い合っていたのを教会で耳にし、“私はその理由を知ってるわ”っと牧師の奥様が返答した内容が綴られていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その記事はブロガーのブログに載せてあったのだが、どうやらそのブログは閉じてワールドプレスで新しいブログを始めた為、その記事はもう見つからない。　よって詳しい事までは覚えていないが、新約に出てくる‘クリスチャン’と‘信者－Believer’という言葉の節を何件か取りだし、彼女は自分の意見を説明していた：&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;ul&gt;&lt;br /&gt;&lt;li&gt;サタンでさえも信者であった。（ヤコブ書より）&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;&lt;li&gt;“クリスチャンとして苦しみを受けるのは、、”という第一ペテロ４章の説から、苦しんだのはクリスチャンであり、信者とは呼ばれなかった。　&lt;/li&gt;&lt;br /&gt;&lt;li&gt;使途２６章でのパウロとアグリッパ王の会話から、‘おまえは私をクリスチャンにしようとしている’とアグリッパ王が言ったのは、アグリッパがもうすでに心では信じていた（信者）からだと。&lt;/li&gt;&lt;/ul&gt;&lt;p&gt;誰でも信者にはなれるが、&lt;u&gt;神の言葉に従う者がクリスチャンなのである&lt;/u&gt;－というような事が彼女の記事のポイントだと私は受け取った。&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;よって教会メンバーの会話で出てきたあの‘彼女’がクリスチャンと名乗りながらあんな事をしたのは、実は彼女は信者であるだけだからだというのが牧師の奥様の結論だった。&lt;br /&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;その女性が何をしたのかは記事にかかれていなかったけど、もし自分が間違ったことをしたとしても、その一つの行動でラベルをつけられるのは嫌だなあ～という印象を私に残した。 &lt;/p&gt;&lt;p&gt;ああいう発想は信者同士で批判・非難・比較を及すため、健康的ではないと思うんだが、、&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-1900080751745347543?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/1900080751745347543/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=1900080751745347543&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1900080751745347543'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/1900080751745347543'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/believer.html' title='‘クリスチャン’と‘信者(Believer)’の違い！？'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-5571092719037577730</id><published>2011-02-18T10:06:00.015-06:00</published><updated>2011-02-20T18:44:22.335-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ローマ書にて'/><title type='text'>パウロの討論：律法を行う者が義とされるのか？</title><content type='html'>私が宗教に縛られているように感じていたことから解放されたのは、ローマ書を一人でよく読み直すようになってからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どの書を読むに当たっても、著者、そして誰宛に書かれていることなのかということを頭に入れて読むと、述べられた本当の意味が見えてくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;説教で　数節の聖句を引き出し合読した後‘では、説教に専念するために聖書を閉じて聞いてください’というような設定の下で長年過ごしてきた私は、ローマ書に出てくる律法の説明に関して大きな誤解をしていた。　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;と言いながら、聖書を読み理解を求めなかったのは誰のせいでもなく、自分のせいなのであるが、、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;例えを挙げれば、‘ハッ’っとさされるこの節：&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;“&lt;strong&gt;なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである&lt;/strong&gt;”　というローマ書２章１３節。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この節だけを見つめると、‘律法を守らなければ、、’というような錯覚に陥る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;律法/おきて/規則/神の言葉/親の言う事/学校のルールなど等、‘律法’は&lt;u&gt;色んな姿に変えられ&lt;/u&gt;　この節を参照されて説教に現れる。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この節は律法や規則などを守る重要さを強調しているだろうか？　私はそうではないと読み取る。　&lt;br /&gt;人間誰もがどうすれば義とされるかということを&lt;u&gt;証明する過程&lt;/u&gt;でパウロが用いた議論の一つであると私は理解する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ローマ書はパウロがローマにいるクリスチャンにに書いた手紙であるが、当時の教会（会堂）はユダヤ人のものであり、興味深く集まったユダヤ人、未信者のユダヤ人達がイエスの救いを信じない言い訳の余地が無くなるように、弁護士が議論を弁護するような形でパウロは討論している。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話の筋を理解するには、初めから成り行きを理解しないと解釈に欠ける。 上記の節までの成り行きをみてみよう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１章の後半からパウロは色んな罪のリストを挙げている。&lt;br /&gt;↓&lt;br /&gt;あんな事をするヤツラには神の怒りがあって当たり前だ！っと群集を燃え上がらせておいて、&lt;br /&gt;↓&lt;br /&gt;第２章の初めで人を指差す群集の指を個々に向ける。&lt;br /&gt;↓&lt;br /&gt;&lt;u&gt;&lt;strong&gt;理論的に&lt;/strong&gt;&lt;/u&gt;律法を行えば誰でも正しいとされるということを証言する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ここだ！　ここで“、、、律法を行う者が、義とされるからである”とパウロは言っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何故そんな理論的な事をパウロは言ったのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;理論的に考えてみよう　－　&lt;u&gt;律法を完璧に行える人はいるだろうか&lt;/u&gt;？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その答えはパウロが第３章で述べている：“&lt;strong&gt;義人はいない、一人もいない&lt;/strong&gt;”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;パウロは、律法があろうが無かろうが、律法の下にいようがいまいが、&lt;u&gt;皆誰もが罪人であることを証明するために理論的な説を挙げて証明した&lt;/u&gt;わけだ。　だからあの節が律法・規則・おきて・ルール、、を守ることの重要性を主張しているのではないことが理解できる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-5571092719037577730?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/5571092719037577730/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=5571092719037577730&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5571092719037577730'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/5571092719037577730'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_18.html' title='パウロの討論：律法を行う者が義とされるのか？'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-728737841315062467</id><published>2011-02-14T09:03:00.024-06:00</published><updated>2011-02-15T13:09:30.667-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='過去と現在'/><title type='text'>伝道クラブには参加しない</title><content type='html'>１０数年もメンバーであったメガチャーチに通い始めた時、教会内にある数々の伝道クラブから参加招待のお誘いがあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は女性専用の一番人気のある‘何とかクラブ’へ足を運んでみた。　大多数参加者に圧倒され、その場でそのクラブに加入してしまった。　即私の伝道パートナーが与えられ、そのクラブが作成した伝道教科書も頂いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;このクラブでは伝道に使う‘&lt;u&gt;せりふ&lt;/u&gt;’がちゃんと決まっており、それを暗記することが第一レベルであった。　きちんと暗記するまでは伝道に出てもパートナーが話をするのを見て学び、サイレントパートナーの役をする。　暗証をパートナーに認められると次のレベルへ進み、レベルを完了する度、毎週土曜日朝１０時から１２時にあるミーテング中に皆の前で報告され、なんらかの認識とバッチみたいな物がが与えられるのだ。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は第一レベルで戸惑った。　&lt;u&gt;聖句を覚えることには問題なかったが、伝道訪問先で玄関の戸が開いた時点から私が言うことが決められているというのがどーも気に入らなかった&lt;/u&gt;。　相手の反応を予測して作られた伝道パターン、相手の反応が教科書どうりでなかったらどうするんだ？っという不安もあったし、一生懸命せりふを覚えようとしている自分がロボットのような気がして嫌で仕方がなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある日、伝道先でいつものように‘せりふ’を唱えていると相手のおばあさんにいきなり中断された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘&lt;u&gt;あんたは何人？　誰がどうやってあんたに異国の神であるキリストを信じるようにさせたのか？’&lt;/u&gt;っと私に聞いてきた。　戸惑った私を押しよけてパートナーは即会話を伝道パターンに戻そうと会話を受け継いだが、‘あんたには聞いてないよ、この子に聞いてるんだよ’とおばあさんが強く返答した為、私に‘話していいよ’とパートナーが合図した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ぎこちないままその場で私は自分がイエスを信じた理由を語り始めた。　私の話を黙って最後まで聞いてくれたおばあさんが言った言葉は、私が疑問に思っていた事の答えをくれた：　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;em&gt;“私はカトリックだけど、アジア人である貴方がそうやって異国の神であるイエスを信じたことに貴方の信仰というものを強く感じたよ。　イエス様がどんなに偉大な方かわかるわね！　だから‘今日死んだら貴方は天国へいくか地獄へいくか？’なんていうつまらない質問なんかで人を教会に招こう・導こうなどしないで、イエス様が貴方になされたことを語ったらどう？”&lt;/em&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;後に考えてみると、その時私がおばあさんに語った事は、&lt;u&gt;単に彼女の質問に返答した私の率直な答えのみで&lt;/u&gt;、彼女を‘感心させる’ために砂糖をかぶせたような感動話ではなかったのに、それでも彼女が私の信仰を感じた事が不思議に思えた－&lt;u&gt;私の証の受け入れ方は人によってそれぞれ違うのだなあと&lt;/u&gt;。　そう思うと、それぞれ違う人にロボットのように同じ‘せりふ’で話しかけるのが嫌になり、そのクラブを脱退した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;他にも別の伝道クラブを訪ねてみたが、どのクラブでも共通する事がある－伝道へ出る前のミーテング、最低でも一時間はある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのミーテングがモチベを与えるために存在するものだとはわかっているが、そこで行われる幾つかの事に違和感があった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;①伝道クラブに参加する人の出席を取ること。　その出席記録で人の信仰の深さを測られているようで嫌だった。&lt;br /&gt;②〇〇さんが先週イエス様への救いに３人導くことができました～っといった伝道結果の成績を公表することで、誰を褒めているのかわからない。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人にイエス様の話をするのは大事であるし、週一回時間を決めて伝道に励むことも　ある人にとっては必要なことかもしれないが私には重荷となっていった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;伝道クラブに参加しなくなってからでも、家の修理に来たおじさんや、かかってきた電話のセールスマンに無闇に“貴方は今命を絶たれたら何処へ行くか確信を持ってますか？などと‘伝道’したことも何度もある。　&lt;u&gt;しかしその後に私の心に残るものは‘伝導した’という満足感のみで、その人が本当に救われたという祝福でも、イエス様の力を賛美するものでもないのが多かった。&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そんな空しい気持ちから、私は通勤や買い物中に出会う人に&lt;u&gt;無理矢理&lt;/u&gt;イエス様の話を持ち込んだりしたくないと思い始めた。　救われてすぐの頃、日本にいる家族や友達に同じような事をして彼らとイエス様の間に高い壁を造ってしまったこともあるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;勿論それを上手くやり遂げる方もいらっしゃる。　それはその方の持つ賜物で、私の物ではないと気づいた時、伝道の見方も変わり、伝道に対しても楽になった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あのカトリックのおばあさんが言ったように神様がなさる御業を、私の生活を通して誰かが感じ取ることができればいいなと思うと同時に、私が主から人をイエス様に導く機会が与えられていると察する時、‘伝道パターン’などではなく、その人一人ひとりに必要なイエス様の言葉をシェアできればいいなと私は思っている。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-728737841315062467?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/728737841315062467/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=728737841315062467&amp;isPopup=true' title='4 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/728737841315062467'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/728737841315062467'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_14.html' title='伝道クラブには参加しない'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>4</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-359515440882060707</id><published>2011-02-10T11:59:00.028-06:00</published><updated>2011-02-10T22:41:55.414-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='賛美'/><title type='text'>人それぞれのイエスとの出会い</title><content type='html'>イエス様との出会いの証を聞く時、神様の偉大さを感じられずにはいられない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私はアメリカの教会でイエス様の救いを受け入れる機会を与えられた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;アメリカという国の設立者達にはクリスチャンが殆どで、この国がキリストへの信仰の基に設立されたと言ってもよい。　そのせいか、イスラエルの神というよりも‘わが国の神’と思い込んでいる人も多いように思う。　&lt;span style="font-size:78%;"&gt;まあそれはどうでもいいことかもしれんが、、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスの救いの話は誰でも知っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が日本人であることから　教会でよく宣教師達に聞かれる：&lt;u&gt;“どうすれば（どのように伝道すれば）日本人はイエスキリストの救いを信じるようになると思いますか？”&lt;br /&gt;&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;昔　私も同じように考え込んだことがあった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊アダムとイブの話から神が唯一であることを証明する&lt;br /&gt;＊バビロン塔の証から日本人の由来を教える&lt;br /&gt;＊罪人であるということを認識させる&lt;br /&gt;＊罪と恵みの比較を理解させる&lt;br /&gt;＊ヨハネ書からイエスが神であることを証明する&lt;br /&gt;＊罰に対する支払いが可能なのはイエスだけであることを納得させる&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;等など、、色んな‘伝道手段’を考えたもんだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実際には‘&lt;em&gt;今日貴方が命を絶たれたら、貴方が天国に行くという確信を持っていますか？&lt;/em&gt;’というアメリカでは通常伝道パターンの質問から自分の魂の行方を考えさせられたという事実が私のケースでいえるのだが、それ以前に、‘キリスト教の信仰とは一体何なんだ！？’っと私に興味を沸かせたのは今の旦那、当時の彼が言った言葉：“同じ信仰を持たない人と結婚するべきかはわからない”という言葉であったことも確かである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分を含み、色んな方の証から　人間的な伝道作戦などにこだわらなくても、イエスとの出会いの機会は人それぞれに色んな形で神様が与えられると私は理解する。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会を離れ‘この世’を満喫していた旦那がしがみついていた米粒のように小さくなっていたはずの信仰でも、私を真の光へ導いたわけだ。　神の御業は本当に素晴らしい！　&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-359515440882060707?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/359515440882060707/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=359515440882060707&amp;isPopup=true' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/359515440882060707'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/359515440882060707'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_09.html' title='人それぞれのイエスとの出会い'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>2</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-7380428017409889596</id><published>2011-02-06T21:11:00.017-06:00</published><updated>2011-02-09T11:07:43.714-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='悩み事'/><title type='text'>教会に行きたいけど行きたくない～その②</title><content type='html'>‘教会に行きたいけど行きたくない’第一弾をブログに載せてコメントがついたことに驚いてしまった！　教会を拡大する必要性に疑問を持っているのは私だけではないんだなと思うとなんだか嬉しくなった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;実は、私が教会に行きたくない理由はいくつかあるのだけれど　一番の理由を探り出すと‘交じりを感じない’ということにたどり着く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;伝道目的でパウロが色んな地へ行き渡り、必ず足を運んだ場所は会堂だった。　新約を読み通すと、会堂での演説者はパウロだけではなかったことがよくわかる。　大体パウロは自分が演説する出番を最後としたことからその事実が読み取れるのだ。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;コリントへ送った手紙の中でも、‘霊の賜物’について述べた第一コリント１４章を読むと、“&lt;strong&gt; すると、兄弟たちよ。どうしたらよいのか。あなたがたが一緒に集まる時、各自はさんびを歌い、教をなし、啓示を告げ、異言を語り、それを解くのであるが、すべては徳を高めるためにすべきである&lt;/strong&gt;”と残されている。　集会が　牧師と名乗る一人のワンマンショーではなかったことが明らかにされているではないか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どちらかというと、年末に行われる大晦日の集まりで、互いに証をし合ったり、男性メンバーが短い説教をし合ったりするサービス（集会）の方が、パウロの証から読み取れる‘集会’に近いような気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;‘昔（新約時代）のやり方が正しいのだ’といっているのではないし‘牧師が必要ではない’と言っているのでもない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;テモテ書やテトス書で、監督者・報事について述べてある。　集まりをまとめる人・指導する人は必要だ。　&lt;u&gt;しかし、御言葉を教えられるのは、啓示を告げられるのは、証が出来るのは牧師と任命された人にだけしか許されていないことだろうか？&lt;/u&gt;　私はそうではないと思う。　信者ならば皆‘霊の賜物’を持っていると思うからだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;礼拝に忠実であるべきとしてよく用いられる聖句、へブル書１０章２５節：“&lt;strong&gt;ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか&lt;/strong&gt;”&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ここから私が理解する集会の目的は‘励ましあい’である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;毎週毎週同じプログラムに沿って行われるお決まりコースの礼拝サービスや同じ牧師のワンマンショーに交じりを感じなくなっている私がいる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は女なので教壇に立ち御言葉を教えることなどに興味はない。　しかし同信者達が御言葉を読んで何を学んだかとか、神様が与えられた祝福の証や神への賛美の分かち合いには興味がある。&lt;br /&gt;&lt;p&gt;なぜならば、それは私にとって励ましとなるからである。　&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-7380428017409889596?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/7380428017409889596/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=7380428017409889596&amp;isPopup=true' title='11 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7380428017409889596'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/7380428017409889596'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_5672.html' title='教会に行きたいけど行きたくない～その②'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>11</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-8471622305072207164</id><published>2011-01-26T19:35:00.003-06:00</published><updated>2011-02-09T11:06:27.570-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='悩み事'/><title type='text'>教会に行きたいけど行きたくない</title><content type='html'>周りの教会でよく耳にすること　→　“もっと献金してください"&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その理由には&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;①教会の新開拓　&lt;br /&gt;②新しい（別の場所の）教会施設の取得&lt;br /&gt;③教会改装&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これらの理由の目的は教会施設を拡大することにある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私は思う－&lt;u&gt;施設を大規模にする必要があるのか&lt;/u&gt;？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;新約書で読み取れることは、パウロはゴスペルを伝えるために兄弟を連れて色んな地へ渡り、ある時は集会が成り立った後その兄弟をその地に残し、またある時は自分が行く代わりに推薦する人を別の地に送った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;テトス１章にあるパウロがテトスに書いた手紙の一部：&lt;strong&gt;”あなたをクレテにおいてきたのは、わたしがあなたに命じておいたように、そこにし残してあることを整理してもらい、また、町々に長老を立ててもらうためにほかならない”テトス１：５&lt;br /&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;その続きにはどういう長老を選ぶべきかも説明されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;集団が大きくなりすぎたら　借金してまで施設を拡大するのではなく、同じように長老をたて　集団を分けてはどうだろう？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私が現在メンバーとなっている教会は　何年か前に小さな教会施設から現在のロケーションに移ってきたらしい。　この綺麗な施設を得るに億ドル近いローンを組んだ為　今その支払いに追われている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前長年通った教会も同じ。　教会と名乗る施設が大きな借金をかかえることを異様だと感じるのは私だけか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こういう状況から生じる余計な事がいくつか目に付く。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊献金を基にした説教が多くなる。　最悪な場合は’自分が参加する教会の改善に献金しないとは？’と罪悪感を与えるようなことを述べる　→　御霊を苦しめる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;＊＊教会＝神の家（？）とし、神の家を建てることが神に愛を示す一つであると　教会＝神の家（？）を建てる重要さを強調する　→　神を愛するよりも教会という施設を愛するようになる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;strong&gt;”この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住まいにならない。　また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない．．．．”使途17:24-25&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教会施設を大規模にすることよりも、もっと御言葉を教えることで神が住まわれる一人ひとりの心の内を強めていくことに焦点を置いてはどうだろうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-8471622305072207164?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/8471622305072207164/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=8471622305072207164&amp;isPopup=true' title='11 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8471622305072207164'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/8471622305072207164'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post_06.html' title='教会に行きたいけど行きたくない'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>11</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-745278308706277890.post-6291336342263524921</id><published>2011-01-20T11:31:00.000-06:00</published><updated>2011-02-06T15:50:06.086-06:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='挨拶'/><title type='text'>今の私</title><content type='html'>’クリスチャンだ’と言うと　とても堅苦しいイメージがある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;はっきり言って　そのイメージどおり10年位生きてきたような気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;’クリスチャンになったからにはこーであるべき’ということに長く焦点を置いてきたせいだろうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;イエスを信じて１０年以上と言い張りながら　全く御言葉に無知な自分に知らん顔ができなくなったのが数年前。　同時期に　クリスチャンであるということは一体どういうことなのか？クリスチャンとなった者に神は何を求めるのか？というような疑問の答えを新約書を読み直しながら探り求め始めた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ヒューマニスティックな説教の下でぬくぬくとしているよりも、聖書を書ごと、章ごと、一節一節理解を求めながら読み始めると　今まで訳なくこだわっていた色んな事から目が覚めた－イエスキリスにあるのは'リバティ－自由・解放'なのだと気づき　脱皮したのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この世には色んな‘宗教’があり、私が信じるイエスキリストの教えも　きっと人を束縛する単なる宗教の1つとしか思われないだろうが、そうではないことを証できたらいいなと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;恵みの下に生きる～それが今の私である。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/745278308706277890-6291336342263524921?l=enjoyliberty.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/feeds/6291336342263524921/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=745278308706277890&amp;postID=6291336342263524921&amp;isPopup=true' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6291336342263524921'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/745278308706277890/posts/default/6291336342263524921'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://enjoyliberty.blogspot.com/2011/02/blog-post.html' title='今の私'/><author><name>もみじ饅頭</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry></feed>
